今日のみ言葉【No.1792】(2018年 7月 3日)「 手のひら返しをしない方」

イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた。
(マルコ3:12)

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手のひら返し。

この言葉がよく分かるのはスポーツの世界です。

野球の世界では大リーグに挑戦して一大バッシングを受けた野茂英雄投手が、アメリカで大活躍して帰ってくると、日本野球の功労者だと大歓迎をされました。

サッカー日本代表も、ロシア出発前は3戦全敗と酷評されていましたが、勝ち上がると、「さすが!」とマスコミはつい数日前まで言っていたことと反対の持ち上げ方をします。

人間とはそういうものなのです。

たとえそうであっても、その人間を愛することをやめないのがイエス・キリストです。

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マルコ3章ではイエス様の癒しの恵みを求めて多くの人々が来たことが記されています。

「おびただしい群衆が、そのなさっていることを聞いて、みもとにきた」
(マルコ3:8)

相当遠いところからも来たということが、次の箇所からわかります。

「エルサレムから、イドマヤから、更にヨルダンの向こうから、ツロ、シドンのあたりからも」
(マルコ3:8)

病人が100km以上の道のりを来るのですから、付き添いも入れて、数日間かけてようやくイエス様を探し当てたのでしょう。

そして癒されれば、その出来事を他の人々に話したくてたまらなくなるはずです。

しかしイエス様は厳重にそれを禁じました。

「イエスは御自身のことを人にあらわさないようにと、彼らをきびしく戒められた」
(マルコ3:12)

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その理由は、他の人々に自分を誤解させないようにするためでした。

イエス様がこの世にこられた第一の理由は、人々を元気づけ、力を与え、病を癒やして健康で幸福な生涯を送らせるためではありません。

それは二の次三の次のものです。

メインの理由は人の魂を救うことです。

人と神との間にある罪の問題を解決し、人と神の関係を復活させ、正しいものとすること。

イエス様はそのためにこの世に来られ、十字架におつきになったのです。

ところがイエス様は

「殺せ、殺せ、彼を十字架につけよ」
(ヨハネ19:15)

と人々から言われました。

叫んだのは、ほんの数日前にイエス様のエルサレム入場を歓迎したはずの群衆でした。

このあたりの消息をある牧師はこう語っています。

「人間の側の要求を満たすものであれば、宗教はいつでも歓迎される。しかしながら、宗教の本質、ことにキリスト教の本質は、人間の生まれつきのままの思いを満足させることにあるのでなく、神の意志を重じ、これを第一にすることにある、と明言するとき、人々はキリストのもとを去って行くのである」
(『マルコ福音書講解』、佐藤陽二著、アンカークロス出版、P54)

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人は自分の希望にかなうものであれば受け入れますが、そうでないとわかった瞬間、手のひら返しをします。

しかし、イエス・キリストはそうなさいません。

キリスの愛とあわれみは変わることがなく、尽きることがないからです。

「イエスは、すべての町々村々を巡り歩いて、諸会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをおいやしになった。また群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて、倒れているのをごらんになって、彼らを深くあわれまれた」
(マタイ9:35-36)

この私たちの不十分さ、ありのままを知り、それが神の前で罪であることを認め、告白し、赦しをいただいて安心して生きていくのがクリスチャンの人生です。

間違ってはならないのは、正しく生きようとするから神のあわれみを受けられるのではないということです。

あわれみを受け、癒しの恵みが先にあるので、その感謝の応答として正しく生きようとするのです。

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このキリストを信頼する一日を送って参りましょう。

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