今日のみ言葉【No.1761】(2018年 5月25日)「 最高の霊的体験」

イエスは彼らに言われた、「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから」。
(マルコ1:38)

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私は好き嫌いの激しい子供だったので、給食や夕食の時間は恐怖と拷問の時間でした。

親や先生は子供の健康と将来の体作りのことを考えて、

「何でも食べないとだめよ」

「残さないで食べるんだよ」

と言ってくれたのは大人の今となっては理解できます。

しかし、偏食の子供の心にはこれが重くのしかかり、嫌いな食べ物だけがクローズアップされ、やがて

「あ〜あ、また食べなきゃならないのか。なんで食べて生きなければならないんだろう」

と、食事そのものに嫌悪感を抱くことになるのもよく理解できます。

今思えば、体に必要な栄養素を取るための食事なのですから

「好きなものから食べなさい」

と言われれば良かったなと思います。

そうすれば安心して食事の席につくことができ、一番好きなものから食べ、その次に好きなものを食べ…、という具合に楽しく時間を過ごすことができます。

そして結局最後に嫌いな食べ物が残るわけですが、一切れだけでもチャレンジしてみるか、という気持ちになります。

そこで

「よくできたねー!」

とほめてもらえれば、次回もやってみるかという意欲が湧いてきます。

食事という一つの例を取り上げましたが、人生すべて、

「何のためにこれをやっているのか」

という的を外さないことが大事です。

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キリストの癒しについても同じことが言えます。

当時の人々はイエス・キリストによって病が癒やされることを求めて集まってきました。

しかしイエス様ご自身が、それは自分がこの世に来た本来の目的ではないとおっしゃっています。

「ほかの、附近の町々にみんなで行って、そこでも教を宣べ伝えよう。わたしはこのために出てきたのだから」
(マルコ1:38)

神の教えを宣べ伝えることこそ、イエス様がこの世に生まれた目的だと明らかにしておられるのです。

キリストが来られたのは、神と人との関係を正しくするためであり、それが神の側からもたらされたという福音(グッドニュース)を教え、伝えるためでした。

ですから、身体の癒しが目的ではなく、霊・肉・魂を含めたトータルな救いが目的だったのです。

もちろん、イエス様は愛ゆえに人々を癒されましたから、神に癒しを求めて一向に差し支えありません。

また、癒しを体験し、そこから神を信じる道を歩まれることもあることでしょう。

しかし、神癒は霊的体験の中で言えば小さい方なのです。

人間の世界も天上の世界も全てを知り尽くし、しかも支配しておられるイエス・キリストの言葉を聞き、それに従って生きること。

それが霊的体験の最上のものなのです。

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先日、米沢市で「星野富弘 花の詩画展」が開催され、延べ四千人近くの方々が来て下さいました。

ご存知のように星野さんは落下事故で首から下の身体が動かなくなりました。

人生に絶望した後、キリストの福音を信じてクリスチャンになられましたが、体はそのままです。

しかし、神と出会い、キリストの福音に生きている喜びと感動を、その絵と詩に表し、全く動けない人が人々の心を動かし、四千人の足を運ばせるという事実があります。

星野さんの生き方こそ霊的体験の最高のものなのではないでしょうか。

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わたしは傷を持っている

でも その傷のところから

あなたのやさしさがしみてくる

(『風の旅』、星野富弘著、立風書房、P52)

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御言葉を聞き、それに従う人生。

今日もその最高の霊的体験を積み重ねる一日として参りましょう。

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