今日のみ言葉【No.1657】(2017年11月27日)「 救いを得る資格のある人たち(1)」
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
(ルカ18:13)
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普通の観光目的等でアメリカに渡航するには、ESTA(エスタ)という手続きをしなければなりません。
テロ対策です。
クレジットカード必須。インターネット上で数々の質問に慎重に答えて、ようやくOK。
アメリカに入国する資格を得ました。
では神の救いを得る資格のある人とはどんな人たちでしょう。
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第1番目に、人生万事順調とは言えず、神に顔を合わせられなくなった人たちです。
「人生、失敗したなあ…」と思う人こそ救い主イエスに会う資格十分の人であり、今日の聖句の取税人がまさにその人です。
彼らはイスラエルから税を徴収し、それをローマ帝国に納める役目をする人でした。
ところで、取税人たちはいくらでも不正をして私腹を肥やすことが出来ました。
なにせバックに強大なローマ帝国があるのです。
多少割増して税金を取り立てても、誰も表立っては文句を言えません。
差分は自分の懐に入れられます。
なるほど、富を蓄積し、お金持ちとして悠々と贅沢に暮らせるわけです。
しかし、ザアカイのように経済的に豊かになっても、人間関係は寒々とした中で生きる結果となります。
自分の周りに人々がいても、それはお金目当てでくっついているだけで、「金の切れ目が縁の切れ目」という諺のごとく、金の支払いがなくなれば蜘蛛の子を散らす如く去っていく人々であることがわかっています。
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本当に信頼し合える人間関係ではないこと。
常に腹の探り合いをし、相手の言葉と思いは違っていることを感じつつ、知らぬ素振りをして生きる生活…。
「なぜこんなことになったのだろう?私はこんな生活を望んでいたのだろうか?どこで道を逸れたのだろう?」
今日の聖句から取税人の心の叫びが聞こえてきます。
「目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』」
(ルカ18:13)
片や律法をきっちり守るパリサイ人はこう祈っています。
「神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫をする者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています」
(ルカ18:11-12)
まさに申し分ありません。
物質的勝利者は取税人であっても、精神的勝利者はパリサイ人なのではないでしょうか?
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神の思いは私たち人間の思いをはるかに上回っています。
イエス様はこう語られました。
「あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」
(ルカ18:14)
神の救いを得る資格のある人は、神に顔を合わせられない自分であると認める人たちです。
いつの間にか人生のレールを外れ、しかも元のレールに戻りたくても戻れない自分を嘆く時、それがイエス・キリストと最も近い時なのです。
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救いを得る資格十分な私として、今日も自分自身を生きて参りましょう。
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