今日のみ言葉【No.1624】(2017年10月13日)「 遠いゴールと足下の一歩」
つえはユダを離れず、立法者のつえはその足の間を離れることなく、シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う。
(創世記49:10)
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現在この御言葉メールは「救いのストーリーを時系列で語る」というシリーズに入っている関係上、イスラエルの歴史に沿いながら進められています。
日本の歴史になぞらえると解りやすくなるかもしれません。
奈良・平安の雅やかなイメージの時代を過ぎ、武士が力を持ち出した鎌倉・室町時代。そして群雄割拠の戦国時代が訪れます。
天下統一を果たす直前に本能寺の変で倒れた織田信長。
その後、天下統一を果たした豐臣秀吉。
さらにその後、関ヶ原の合戦で勝利し、徳川幕府の礎を築いた徳川家康。
信長、秀吉、家康という3人の大名が日本という国を治めたように、古代イスラエルでは、サウル、ダビデ、ソロモンの3人の王が国を治めました。
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王を戴く制度で重要なのは、「反対したいことにも従う」ということです。
「自分は自分でやっていきます」という時代、イスラエルは強敵ペリシテに勝つことはできませんでした。
ですから王のもとに一致団結した国造りをしたのです。
これは王の命令に国民が従うことを意味します。
しかし、従うことはなかなか大変なことなのです。
自分たちが望んだ制度であるにせよ、嫌なことにも従い、反対したいことにも従うことが要求されるのですから…。
たとえばあなたが結婚したい人がいて、それが親から反対されたとしましょう。
あなたはその人との結婚をあきらめますか?
たとえばあなたが今の職場にいることが辛く苦しく、転職したいと思って周りの人に相談しますが、皆「残ったほうが良い」とアドバイスし、引き止めたとしましょう。
あなたはその意見に従って、毎日そこで仕事を続けますか?
従うとは時に大変な犠牲と忍耐を要求されることなのです。
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私たちがそれでも従えるのは、そこに神の存在があり、従うことが御心であると信じられるからです。
ダビデが王として選ばれたのは、遠く創世記の時代のヤコブの預言の成就です。
「つえはユダを離れず、立法者のつえはその足の間を離れることなく、シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う」
(創世記49:10)
ダビデはユダ族の出身です。彼が王となることはこの預言の中に含まれます。
そしてダビデの子孫から救い主が生まれ、最終的に世界はイエス・キリストによって治められることがこの預言の意味するところです。
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その途上にある王制という政治形態と人間である王には不完全さがつきまといます。
当然うまく行かないことが出てきます。
私たちも同じ現実の中で生きています。
その矛盾と理不尽な出来事の中を歩いて行く秘訣は、神の言葉とその御心から目を離さないことです。
遠く見える最終ゴールを見通して現実の問題に対処する。
満点は取れなくても、その方向に向いている自分を認め、評価して生きる。
これが神を見上げて生きる信仰者の進み方です。
「信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか」
(ヘブル12:2)
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遠いゴールと足下の一歩。
両方を見ながら今日も進んで参りましょう。
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