今日のみ言葉【No.1373】(2016年 9月23日) 031 「ベツサイダの盲人」(1)
すると彼は顔を上げて言った
(マルコ8:24)
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ゴールキーパーと1対1となるPK(ペナルティーキック)。
12ヤード(10.97メートル)という短い距離で打つシュートですが、一流サッカー選手でも外すことがあります。
その瞬間、キーパーはガッツポーズ!シュートした方はうなだれ、打ち崩れます。
PK失敗で試合に負けた監督は、こう言って選手をかばいました。
「悔いは何もない。後悔していたら、人生など続けられない」
この監督なら、きっと次の試合、選手は顔を上げて勝利目指してプレーできることでしょう。
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マタイによる福音書第9章に登場する二人の盲人は、熱烈に問題解決を求めて自分からやって来ました。
一方、今日の聖書個所に出てくるベツサイダの盲人は、人々から連れられてやって来ました。
どうやら彼は目が開かれる希望を持って来たのではなかったようです。
それは、癒される直前の
「すると彼は顔を上げて言った」
(マルコ8:24)
という描写から分かります。
つまり、それまでずっと顔を下に向け、うつむき続けていたのです。
彼は頑固な人間というのではなく、今までの人生に失望しきっていたようです。
・今までも見えるように努力してきたがダメだった。
・どうせ今回も無理に違いない。
・望みを持って裏切られるよりは、何も望まない方が傷つかない。
このような考えを持っていたことは容易に想像がつきます。
この人を一言で言うと、「神に望みを持たない人」と言うことができるでしょう。
そのような心の持ち主とイエス様は出会って下さるのです。
ここに人生の不思議と希望があります。
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米沢興譲教会にはフライデイナイトというキリスト教初心者向けの集会があります。
時々、クリスチャンの女性と交際している未信者の男性の方が一緒に来られます。もちろんその逆もあります。
お互い結婚を意識しているので、信者側は「この人もクリスチャンになって欲しい」と熱烈に願い、未信者側は「この人の宗教を知っておかなければ」と冷静に考えた上で出席しておられるようです。
ですから、クリスチャン側は希望に満ちた顔を牧師に向けて熱心に話を聞きますが、片方のノンクリスチャンの方は顔を上げずに下を向いていることが多いようです。
かと言って、話を全く聞いていないわけではなく、実はしっかり聞いていらっしゃいます。
最初は全く関心がなくても、話を聞いているうちに心がとらえられ、お話の最後には顔を上げてお聞きになっている、ということがよくあるものです。
そうやって続けて出席し、洗礼を受けて自分もクリスチャンとなり、結婚後は自分を教会に導いてくれた奥さんやご主人以上に熱心な働きを教会でしている方々が多くおられます。
神様はどこで人の心を捕らえられるかわからないものです。
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神に望みを持たない人が、神に向かって顔を上げる瞬間というものがあるのです。
その希望を抱いて、今日の地道な祈りを捧げて参りましょう。
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