今日のみ言葉【No.1712】(2018年 2月24日)「 負けを認める」
身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている。
(第1ペテロ5:8)
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将棋界で29連勝を達成し、記録を更新した藤井聡太五段(15)が羽生善治竜王(47)と公式戦で初対決し、中学生が将棋のトップに勝ったことがニュースとなりました。
将棋では勝負の決着は審判が決めるのではなく、「投了」という用語で表される態度で決まります。
それは「負けました」とどちらかが負けを認めるのです。
どんな名人であろうとも、ごまかしたりウヤムヤにしたりすることはできません。
「負けました」と先に言って頭を下げます。
いさぎよい世界です。
ところが、聖書の世界ではこれと正反対の存在がいます。
サタンです。
悪魔はキリストの十字架によって決定的な敗北を宣言されたのに、いまだに負けを認めず、この世を徘徊しています。
クリスチャンの生涯にはこのサタンとの戦いが生じます。
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なぜ神がサタンを止めないのかは分かりません。
わかることは、神は否定的な事柄を用いて肯定的事柄をなさるということです。
「あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました」
(創世記50:20)
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」
(ローマ8:28)
この神の御心に対して、私たちは「負けを認める」ことが必要です。
それは、悪が存在する現実を認めて生きるということです。
理不尽な扱いを受けたり、ルール違反がまかり通る現実に目をつぶれ、ということではありません。
そのようなことは実際あり、自分も同じ目に遭ってもおかしくはない、とサタンと出会う現実を受け入れて生きることです。
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「あなたがたの敵である悪魔が、ほえたけるししのように、食いつくすべきものを求めて歩き回っている」
(第1ペテロ5:8)
というこんな恐ろしい世界をどうやって歩いて行ったらいいのでしょうか?
聖書はまず
「身を慎み、目をさましていなさい」
(第1ペテロ5:8)
と語っています。
警告がなされるのは脅すためではなく、私たちの命が守られるためです。
天気予報で
「今季最大級の寒波が来ます」
「大雪の恐れがあります」
「数十年に一度あるかないかの大雨になります」
と言われると、怖い思いが湧いてきますが、それは事前に十分な備えをするためです。
大雪になるとわかれば、事前に灯油やガソリンを満タンにし、出来る限りの雪片付けを済ましてしまいます。
また、不要不急の外出は控えます。
どうしても仕事で出なければならない時は、水や食料、着替えを用意し、脱出用のスコップまで車に詰め、万全の準備をした上でソロリソロリと慎重に運転します。
身を慎み、目をさましているとはこういうことです。
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また、聖書は続く9節で、黙って引っ込んでいるだけではなく戦えと命じています。
「この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい」
(第1ペテロ5:9)
悪魔は私たちが信じていることが
「嘘だ」
と言って信仰の道から引き離そうとします。
サタンが提供するのは無制限の自由という誘惑です。
悪は派手で魅力的なので、人間はついつい引っかかってしまいやすいのです。
しかし、高い犠牲を払って彼から得た箱を開けると、そこにはムッとした悪臭が漂い、あれだけ魅力的に見えたものが維持するだけでも大変なガラクタだったことに気づきます。
サタンが笑っている声が聞こえてきそうです。
ですから、
「この悪魔にむかい、信仰にかたく立って、抵抗しなさい」
(第1ペテロ5:9)
と神は私たちにサタンに抵抗せよと語っておられるのです。
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負けるなら神に負けることです。
神に降参し、神の言うとおりの人生を歩んでみること。
そこにサタンの付け入る隙はありません。
サタンの誘惑に耳を閉ざし、神のささやきに耳を澄ます今日の一日として参りましょう。
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