今日のみ言葉【No.1566】(2017年 7月11日) 093 「ペテロ(あなたはわたしを愛するか)」(2)
イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」。ペテロは「わたしを愛するか」とイエスが三度も言われたので、心をいためてイエスに言った、「主よ、あなたはすべてをご存じです。わたしがあなたを愛していることは、おわかりになっています」。イエスは彼に言われた、「わたしの羊を養いなさい。
(ヨハネ21:17)
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「人の霊的状態は○○をしてもらうとよくわかる」
という文章があるとしたら、あなたはその「○○」の部分に何を入れますか?
「お祈り」でしょうか?「聖書朗読」でしょうか?「献金」でしょうか?
私の意見では、ここに
「讃美」
を入れるでしょう。
歌の上手い下手が問題ではありません。
音楽的素養の有無でもなさそうです。
もちろん素晴らしい演奏や歌声を聞いていただけるように、よく練習することは必要不可欠です。
しかし、讃美する人が自分の今いる位置で神を感謝し、ありのままの姿から神をほめたたえていると、技量の巧拙を越えた何ものかを聴衆が感じとることは事実です。
イエス様はペテロのありのままの所まで来て下さり、そこから霊的人生をスタートさせて下さいました。
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イエス・キリストのペテロに対する要求は、彼が今いるレベルにまでどんどん下がっていきます。
それは原典のギリシャ語でその移り変わりがわかります。
1度目は、他の弟子たちが愛する以上にイエス様をアガペーの愛で愛するか、と問われました。
2度目は、他の弟子たちが愛する以上という条件を取り去り、イエス様をアガペーの愛で愛するかとだけ問われました。
ペテロの答えは両方共、
「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」
(ヨハネ21:15、16)
でした。
彼はかたくなにアガペーの愛ではなく、フィリアの愛で愛すると貫いています。
ペテロはそうとしか言えなかったのです。
もうとても主イエスが要求される犠牲の愛で愛することはできない自分であることがわかっています。
彼は心苦しかったでしょうが、かといって自分の実力以上の自分を演じることもできません。
ペテロは
「アガペーの愛、神の愛ではなく、私の愛は人間の愛です。私はその愛でなら愛せますが、自分の命が危なくなった時はちょっと…。それはあなたがよく知っておいでの通りです」
という気持ちだったのだと思われます。
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イエス・キリストの3度目の言葉はペテロにとって衝撃でした。
「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」
(ヨハネ21:17)
ここでイエス様はアガペーの愛で愛するかという問いを変え、ペテロの言うフィリアの愛で愛するか、と問われました。
3度目に言葉を変えられたのです。
しかもそれはペテロが使っている言葉です。
それはあたかも
「ペテロよ、神の愛で愛することはできないと言うのだね。それならあなたの言うフィリアの愛でいい。その愛で私を愛してくれるか?」
と言われているかのようです。
イエス様はペテロの位置まで降りてきて下さり、その愛で愛していただけますか、と謙遜に彼に求めているのです。
ですから、3回も言われたという回数が重要なのではなく、3度目にイエス様がご自身の要求をペテロのありのままの位置にまで変えてくださったということがポイントなのです。
(※注:ギリシャ語原典ではτριτον(トリトン)で、3回でなく3度目という意味です。英語の聖書(NIV)でも"the third time" と訳され、"three times" とはなっていません)
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ペテロの心は痛んだなどというものではありません。
「イエス様にそこまで言わせてしまった…。ああ、また先生に犠牲を負わせてしまった…」
彼は今までの言葉に、この言葉を付け加えました。
「主よ、あなたはすべてをご存じです」
(ヨハネ21:17)
ペテロは次のような思いをこの言葉に込めたのではないでしょうか?
「自分がしでかした失敗の数々を、イエス様、あなたは全てご覧になって知っておられます。そんな私はアガペーの愛で愛することはしたくてもできません。フィリアの愛でしか愛せないことはあなたが知っておられます」
イエス様はこのペテロに対して、
「わたしの小羊を養いなさい」(15節)
「わたしの羊を飼いなさい」(16節)
「わたしの羊を養いなさい」(17節)
と牧会者となるように命じ、彼に全幅の信頼を寄せています。
自分のいる位置まで降りてきて下さり、それで良いとし、そのあなたに任せるからと自分を信頼してくれる存在。
ペテロはこのキリストとの出会いによって、「岩」となる人生を歩み出すことができたのです。
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イエス・キリストは「よくできたあなた」とも会って下さいます。
しかしそれ以上に探し求めて出会おうとされるのが、「全く期待はずれで失敗だらけのあなた」です。
あなたの今いる位置まで来てくださるイエス様を今日受け入れる日として参りましょう。
そこから讃美の人生が始まっていくのです。
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