今日のみ言葉【No.1366】(2016年 9月14日) 028 「水の上を歩くペテロ」(3)
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」
(マタイ14:31)
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この言葉は、私の中ではずっと「イエス様からのお叱りの言葉」でした。
一旦信頼すると決めて、歩けるはずのない水の上を
「わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」
(マタイ14:28)
と願い、本当に歩くことができたのに、風を見て恐ろしくなり、溺れかけ、助けて下さいと叫んだペテロ。
その姿は自分の姿と二重写しになって見えます。
「ゆだねます」
と宣言して、しばらく調子のいい時を過ごし、
「信じてお任せしたら大丈夫なんだよ」
と周りの人に吹聴し、
「ああ、イエス様は素晴らしい!」
と言って回っているのもつかの間、現実の雲行きが怪しくなると、途端に気持ちが沈み込み、
「どうしたらいいんだろう?」
と悩み、やけ食い・衝動買い・ふて寝の3セットで気持ちを紛らわそうとする私の姿。
「本当はこれで良いはずはない。これではいけない」
と、内心、自分で自分をきつく戒め、責めているのですから、イエス様からの言葉も責めに聞こえるはずです。
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しかし、本当にイエス様はペテロを責めて、叱ったのでしょうか?
他の弟子たちが誰も試みなかったのに、彼一人だけが失敗を恐れず、
「わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」
(マタイ14:28)
とお願いしました。
つまり、その思いはどんなに不十分なものであったとしても、からし種ひと粒ほどでもイエス・キリストを信頼する気持ちがあったということです。
その信仰によって彼は水の上を歩くことができました。
大したものではないでしょうか?
イエス様が
「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」
(マタイ14:31)
と言った時、しかめっ面をして言われたのではなく、きっと笑顔を見せて言われたのではないかと思います。
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どんな時も、笑顔のイエス様を思い描き、水の上でも水の中でも進んで参りましょう。
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