今日のみ言葉【No.1567】(2017年 7月12日) 093 「ペテロ(あなたはわたしを愛するか)」(3)
よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」。これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光をあらわすかを示すために、お話しになったのである。こう話してから、「わたしに従ってきなさい」と言われた。
(ヨハネ21:18〜19)
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日野原重明先生が医師として初めて担当したのは、結核を病む16歳の少女でした。
彼女の容態が悪化したのが日曜日。
その日の午後にお母さんが病院に来ると知っていた日野原先生は、「お母さんが来るから元気を出しなさい」と絶望的な状態ながら励まし続けました。
しかし、彼女は自分の死を受容していました。
母親には会えないと思う。心配かけ続けて申し訳なかった。先生、母にはよろしく伝えてください。
こう言って彼女はまもなく息を引き取りました。
日野原先生は、なぜあの時「安心しなさい。お母さんにはあなたの気持ちを十分に伝えますよ」と言えなかったのかと述懐しておられます。
死を受容することは難しいことです。
しかし、生も死も、永遠も、全てを治めておられるイエス・キリストにあっては、死は一つの通過点にしかすぎません。
イエス様がペテロの人生の最後を予告された後、「わたしに従ってきなさい」と言われたのは、その力強い支えがあったからです。
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イエス様はペテロの心の傷を癒し、信者の群れを彼に委ねた後、ペテロの今後のことを予告されました。
それは教会のリーダーとしての務めを果たしていった先に何が起こるか、ということです。
イエス様が告げられたのはバラ色の未来ではなく、
・「自分の手をのばす」
→ 十字架につけられる。
・「ほかの人があなたに帯を結びつけ」
→ 逮捕され捕縛される。
・「行きたくない所へ連れて行く」
→ 処刑場に連れて行かれる。
という悲惨な未来でした。
イエス・キリストの言葉に従って行くと、こんな最後を迎えるというのです。
もちろんクリスチャン全員がこうなるということではありません。
これはペテロだけに特別に与えられた使命なのです。
そしてイエス様は
「わたしに従ってきなさい」
(ヨハネ21:9)
とペテロに語ります。
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ペテロはイエス・キリストの愛と救いを確信していました。
ですから、自分の人生の死をこの時すでに受容したのだと考えられます。
例えて言うなら、死は100m競走のゴールではなく、42.195kmの距離を走るマラソンの最初の通過点のようなものだったのです。
キリストがずっと私の伴走者となって共に走ってくださる。
その確信が彼の人生を走らせるエネルギーとなっていたのではないでしょうか?
言い伝えによると、ローマでペテロが捕らえられ、処刑地に連れて行かれ、
「お前の先生と同じ十字架刑にしてやる」
と言われた時、彼はそれだけはやめてくれ、と懇願したそうです。
役人たちが
「やはり最後は命乞いか」
とあざ笑った時、ペテロは
「主と同じ十字架刑など我が身にはもったいない。つけるなら逆さ十字架にしてくれ」
と申し出て、その通りになされたのです。
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自らの死を受容し、天国へ凱旋していった方のお話をします。
Y兄の最後は、私が今まで見てきた中で一番見事な死の迎え方でした。
若い時に肺結核を病み、肺の機能が普通の人の半分ながら、体を大事にし訓練を怠らなかったY兄は、80歳を超えても定期的に礼拝に参加されていました。
入院なさいましたが、順調に回復中と聞いていたある日、Y兄ご本人から私に電話が来ました。
「大事な話があるので今日病院に来ていただきたい」
夕方病室を訪ねたところ、ベッドに寝ているどころか、椅子に座って待っておられ、私が来ると
「まあこちらに」
と歩いて出迎えてくださるほどでした。
おもむろにバッグから小さなノートブックを出し、私に手渡すと、
「先生、いよいよ私が天国に行く日が近づいてきました。この中に預金通帳の場所や暗証番号が書いてあります。また、私の葬儀の際に必要な連絡先を記しておきました。どうかよろしくお願いいたします」
と深々と頭を下げられるのです。
私は「こんな元気な人が?」と唖然としてしまいましたが、「きっと神様に示されたのだろう」と自分に言い聞かせ、
「はい、承知いたしました。大切にお預かりさせていただきます」
と答えました。
Y兄は安心した様子で、しばらく話をし、お祈りをし、最後に病室を出る時、椅子から立ち、手を振って見送って下さったことを覚えています。
それが生前のY兄を見た最後の姿でした。
翌日、急変したとの連絡があり、大急ぎで病院に駆けつけたのは、医師が「ご臨終です」と告げる20分前でした。
静かな最後であり、そして見事な最後でありました。
死の向こう側の天国を見続けてきた方の、素晴らしい死の通り過ぎ方を私は目にも心にも焼き付けました。
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永遠の中で生かされている今であることを覚え、神に従わせていただく今日の一日として参りましょう。
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初めまして。東海の1信仰者(クリスチャン)です。No.1567(2017.7.12)のぺテロの殉教予告の御言葉に続いて、Y兄の颯爽たる死の受容の記事を読ませて頂き感激の泪しました。覚束無い自分の信仰の歩みが嘆かわしく、素直にみことばに従えば良いのでしょうけど 怠惰になってしまいがちです。世の中には沢山の誘惑、惑わしが在る中で天に在るものを望み見て生活することですね。信仰者一人一人が主の足跡に着いて行けば、勿論、兄弟姉妹一致して主に仕えさせて頂きたいですね。気分的に落ち込んで居て、「今日のみことば」を読ませて頂き励まされました。ありがとうございました。