今日のみ言葉【No.1407】(2016年11月 9日) 042 「盲人バルテマイ」(2)
多くの人々は彼をしかって黙らせようとしたが、…、人々はその盲人を呼んで言った、「喜べ、立て、おまえを呼んでおられる」。
(マルコ10:48-49)
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桂文珍さんの落語でこういう下りがあります。
高速道路でおじいさんが車を走らせていると、カーラジオから
「高速を逆方向へ走っている車が1台あります。気をつけて下さい。」
とお知らせが流れてきました。
周りを見回しておじいさんが驚きます。
「なんや、1台どころじゃないで。全部こっち向いて走ってるがな!」
逆走していたのはおじいさんだったという笑い話です。
立場を正反対に変えてみることが、私たちを救う一つの秘訣です。
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聖書をより良く読むためには、自分が聖書の登場人物になったらどうするだろう、どう思うだろう、と考えならが読むことが有効な方法です。
この聖書個所を映画の登場人物にたとえてみると、
バルテマイ:悲劇のヒーロー
群 衆 :悪役、いじめ役
イエス様 :正義の味方
となるのではないでしょうか。
時代劇風に言うなら、バルテマイは年貢の取り立てに苦しむ農民、群衆は悪代官、イエス様は水戸黄門、という感じです。
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このように見えるのは、私たちが無意識にこの個所をバルテマイの立場で読んでいるからです。
一大決心をして叫びを上げ、妨害に負けずイエス様のもとに来て、お言葉をいただき、見事癒される!
最高の勝利です。身も心もスカッとします。
しかし、悪役と思われている立場から読むと、神の恵みが一層浮き彫りにされ、よく分かります。
ここでは群衆です。
問題児バルテマイに群衆の良い子たちが苦しめられている、という視点で見ていきましょう。
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群衆から見ると、バルテマイは秩序と平和を壊す乱入者です。
それはちょうど、バスを待っている列に割り込んで来た人のようなものです。
自分がやりたいことを押し通そうと叫んでいるのですから、それをやめさせようとして皆が対応するのは当然です。
ご理解をいただいて、大事(おおごと)にならない内に退出していただくか、悔い改めて一番最後尾に並んでいただくことが最善であり、正義が通るとはそういうことです。
しかも見れば相手は盲人ですから、「相手は乱暴者なので、少々荒っぽいがたたき出してやった」、などという強制的な方法ではなく、
「しかって黙らせようとした」
(マルコ10:48)
のはかなり理性的で愛のある対応です。
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その後、群衆はイエス様の言葉を聞いて、わざわざ彼を呼んで来て、
「喜べ、立て、おまえを呼んでおられる」
(マルコ10:49)
と、何のわだかまりもなくバルテマイに告げ、共に喜んでいるかのようです。
実は愛のある人たちに囲まれているのに、その人たちがサタンの手先としか感じられないことがあります。
ですから、周り中が敵だらけ、と見える時は、
「私のほうが乱入者で、この人たちは自分たちの平和と安定が壊されると思って、私の言葉や行動におびえ、恐れているのかもしれない」
と、仮にでも考えてみると、事態を意外な方向に進めていくものです。
ただ、それをするのは難しいのです。
高速道路を逆走して皆に迷惑をかけているのは私だ、と認めたら、それはショックです。
しかし、あえてそのショックを味わい、飛び込んでいった先には、愛ある暖かい人間関係が待っていることは間違いありません。
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自分が頭の中で作る世界は仮想世界であり、神が作っておられる世界のほうが本物です。
神の言葉を信じ、そこに飛び込み、真実の世界を生きる今日として参りましょう。
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