今日のみ言葉【No.1516】(2017年 4月12日) 077 「裏切りを予告された弟子たち」(3)

わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。
(ヨハネ13:15)

——————

吉田松陰は、幕末の動乱期に多くの弟子たちを松下村塾で指導しました。

彼は29歳の時、若くして刑死しますが、その教えを受けた弟子たちは明治政府の中枢となり、鎖国を解いた後の近代日本の土台を作りました。

吉田松陰の教育は成功したと言ってよいでしょう。

これとは対照的に、イエス・キリストが弟子たちに施した教育は、ほぼ失敗に終わったと言っても過言ではありません。

-*-*-*-*-*-*-

(1)自分を裏切り、死に至らしめる弟子

「ユダは一きれの食物を受けると、すぐに出て行った。時は夜であった。」
(ヨハネ13:30)

ユダは闇の世界の主の方に忠実でした。

(2)先生の言うことを全く理解しない弟子たち

「それから、自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言って、争論が彼らの間に、起った。」
(ルカ22:24)

この聖書個所の「それから」とは、裏切りの予告の後のことです。

(3)お互いがお互いを信頼できない弟子たち

「弟子たちはだれのことを言われたのか察しかねて、互に顔を見合わせた。」
(ヨハネ13:22)

-*-*-*-*-*-*-

このような弟子たちに対して、

「わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わたしは手本を示したのだ。」
(ヨハネ13:15)

と自らの手で彼らの足を洗い、謙遜に仕える愛の見本を示し、こんこんと教え続けられたのに、弟子たちの中にイエス様が目指したものは根付いていませんでした。

何をやっても無駄。

そうなれば、普通、人は見限り、手を引き、自分のエネルギーをもっと有効なものに注ごうとして対象を変えるものです。

しかし、キリストの愛は、価値あるものも価値なきものも愛するアガペーの愛です。

いえ、それ以上に、神の愛は自分に歯向かう敵をも愛する愛です。

「もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。」
(ローマ5:10)

キリストはこの神の愛で私たち一人々々を愛しておられます。

人類の歴史を見ると、その愛は多くの場合、無駄に終わっています。

しかし、それでも注ぎ続けられ、そこから神の命が芽吹く奇跡が起きているのです。

-*-*-*-*-*-*-

イエス・キリストは最後まで愛し通され、その愛は、今までも、今も、今から後も、永遠に注ぎ続けられます。

愛される資格のない者が愛されているという恵みに浸る一日として参りましょう。

-*-*-*-*-*-*-

※御言葉メールが届かない方へ

ご自分の「迷惑メール設定」を変更し、
maruyama@mikotoba.org
を受信許可に設定変更して下さいますようお願いいたします。