今日のみ言葉【No.1504】(2017年 3月29日) 074 「ラザロのよみがえり」(3)
マルタはイエスに言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。
(ヨハネ11:21)
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今はセレモニーホールで葬儀をすることがほとんどになりましたが、昔は自宅でお通夜をし、お寺で葬儀をすることが一般的でした。
するとそこに必ず葬儀全般を「仕切る」方が現れます。かつては親戚の年配の男性の方と決まっていたものです。
その人が、お寺や花屋さん、そして料理関係の交渉事等を一手に引き受け、遺族の了承を取りながら手配していかれます。
そうでないと、事が進んでいかないのです。
遺族は、受け入れがたい現実を前にして悲しみに打ちひしがれています。また、初めてのことでどうしていいかわからないことが多くあります。
仕切り役の人が敷いてくれたレールの上を歩いて行くだけで精一杯。
悲しみに沈んでいる家族と、粛々と葬儀を進めていく親戚の方。
私は葬儀の度毎にこの明快なコントラストを見てきました。
弟ラザロの死により、マルタとマリヤの姉妹の反応も、このような対照的なものとなりました。
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イエス様一行が到着したとき、ラザロはすでに死んで墓の中でした。
姉のマルタは妹のマリヤに比べると積極的・行動的であり、弟の死のかなりの部分を受け入れていたように見えます。
それは、
「イエスはまだ村に、はいってこられず」
(ヨハネ11:30)
とあるように、まだ村はずれにいるイエス様のところまで迎えに行ったことからうかがい知れます。
「弟は帰ってこない。悲しみに沈んでいてもどうしようもない。今わたしにできることは何か?そうだ、イエス様を迎えに行こう」
というような考えで自分を奮い立たせたのでしょう。
姉のマルタは自分の感情を抑えて事を進める役割を果たそうとしています。
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そうは言っても、やはりイエス様に会うと、抑えていた気持ちが出てしまいます。
マルタがイエス様に向けて言った言葉は、
「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう。」
(ヨハネ11:21)
です。これは、
「イエス様、遅いです。なんで間に合わなかったんですか?あなたが来られなかったから、弟は死んでしまいました!」
という叫びを内包しているように感じられます。
実は全く同じ言葉を妹マリヤも語っているのですが、彼女はイエス様の足もとにひれ伏しています。
「マリヤは、イエスのおられる所に行ってお目にかかり、その足もとにひれ伏して言った、『主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう』。」
(ヨハネ11:32)
少なくとも、姉のマルタはイエス様を迎えた時、ひれ伏してはいなかったことがわかります。
私の想像ですが、彼女は突っ立っていたのではないかと思います。
それは無意識に現れた、イエス様に対する批判と叱責の態度です。
表面は冷静客観的態度を装っていながら、実はマリヤと同じ悲しみに沈んでいるマルタの姿。
その悲しみと怒りをイエス様にぶつけざるを得なかったのでしょう。
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イエス様はマルタのそのままを何もなさいません。
やり返すことも弁解することも説明することもなさらず、そっくりそのまま受け入れておられます。
それは、全人類の罪の責任を十字架の上で引き受ける、と既にイエス様の心の中で決められていたからです。
そして十字架の死の先の復活を信じておられ、神の御業を知っておられたので、
「あなたの兄弟はよみがえるであろう」
(ヨハネ11:23)
と告げられたのです。
ここに全てを包み込むイエス・キリストの愛があります。
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あなたが何をぶつけようと、キリストのあなたに対する愛は変わりません。
愛しか返ってこないのだ、と信じる今日の日として参りましょう。
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