今日のみ言葉【No.919】(2014年10月21日)
わたしはわが契約を破ることなく、わがくちびるから出た言葉を変えることはない。
(詩篇89:33)
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詩篇第89篇は、イスラエルという国が滅んでしまった嘆きの中で、その回復を願う歌です。
神は先にダビデと契約を結び、その王位を永久に堅く定める、と約束なさいました。
ところが、目の前の現実は、ダビデ王家のエホヤキン王がバビロンに捕らえられています。
もうイスラエルという国はありません。
多くの人々が補囚となって遠いバビロンに移されました。
最善となるという約束をいただいていたのに、最悪の現況を見ているようなものです。
神は契約を破棄されたのか?
約束は反故にされたのか?
そう考えるのも無理もありません。人間の方で神に従う約束を守らなかったからです。
しかしその中で、
「わたしはわが契約を破ることなく、わがくちびるから出た言葉を変えることはない。」
(詩篇89:33)
という神の真実は光を失いません。
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ただ、人間の側で、神の慈しみをキャッチすることができないのです。
私たちには私たちなりの「愛されている」と感じる基準があります。
たとえば、叱られると
「愛されていない」
と感じる人もいれば、叱られて
「目をかけてもらっている」
と感じて愛されている実感を持つ人もいます。
イスラエルにとっては、経済的に豊かになり、軍事的に強くなり、人口が増え、国土が広がり…、というこの世的な祝福を得ることがその基準でした。
しかし神の意図していたことは、人の魂が罪から救われることでした。
そしれそれはイエス・キリストの到来によって成就したのです。
人間のわざの終わりが神のわざの始まりです。
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マザー・テレサの顔はびっくりするほど厳しい顔だった、と渡辺和子先生(ノートルダム清心学園理事長)が書いておられます。
「それは、この世の中で自分は生きていても生きていなくても同じだと考えている、見捨てられたみじめな人の生涯と死を見つめ、産み捨てられた子どもの死を見つめ続けた顔だったのです。」
(渡辺和子著,『面倒だから、しよう』,幻冬舎,2013年)
聖人のような優しい表情をしていないのは、この世の厳しい現実を見ているからです。
しかしマザー・テレサの心の中には
「わたしはわが契約を破ることなく、わがくちびるから出た言葉を変えることはない。」
(詩篇89:33)
という神のお約束を堅く信じる心がありました。
そこに彼女の愛のわざの原動力があったのです。
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神の愛の確かさを現実の状況で測らないようにしましょう。
私たちのわからない方法で、神は愛のわざをなしていて下さいます。
見えないながらも、神の愛の現実を信じ続ける一日として参りましょう。
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