今日のみ言葉(2011年5月13日)【No.54】
「わたしは、あなたがたもこのように働いて、弱い者を助けなければならないこと、また“受けるよりは与える方が、さいわいである”と言われた主イエスの言葉を記憶しているべきことを、万事について教え示したのである。」(使徒行伝 20:35)
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聖書は与えることの祝福を至るところで語っています。
「与えよ。そうすれば、自分にも与えられるであろう。人々はおし入れ、ゆすり入れ、あふれ出るまでに量をよくして、あなたがたのふところに入れてくれるであろう。」
(ルカ6:38)
与えたら、与えられる。これが聖書の単純な法則です。神はこのようにして私たちが豊かに与え、豊かに与えられることを望んでおられます。
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さらに、神様に求めたらもっと与えられます。
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう。」(マタイ7:7)
この時は、謙遜と言うよりはむしろ大胆に神の前に進み出ましょう。なぜなら、イエス・キリストを救い主として受け入れた者は皆「神の子」であるからです。「父」である神は「子ども」の願いを聞き入れようとしています。「父なる神様、天の窓を思いっきり開いて、あふれるほどの祝福を注いで下さい」と大胆に、かつ、必要なものを明確に求めていきましょう。
この時必要なのは「信仰」です。約束通りになる、と信じてそこに賭けていく決断と、本当に約束通りになるまで耐える踏ん張りが必要です。
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ある社会奉仕団体で講師を依頼されたことがありました。会場のホテルに他の優秀な講師の皆さんと到着すると、その団体の責任者の方から、「まだ時間があるから、レストランで昼食を取ってきて下さい。お金を支払う必要はありません。私の名前を出せば済むようにしておきましたから」と言われました。
食いしん坊で欲深な私は早速、数千円のステーキセットを注文しました。ところが、他の人たちは、たぬきうどんやカレーライス等の1000円もしないものを注文するのです。彼らは言うのです。「丸山さん、もしあの方のお名前を出して通らなかったらどうしますか?私たちはその場合のことも考えて、自分で払える範囲内のものを注文しているんですよ」。頭の良い人たちは違います。
しかし私はキャンセルせずに、責任者の約束を信じました。半分欲深だったこともあります!人生であれほど緊張して恐る恐るステーキを食べたことはありませんでした。
そして会計の時に、私は一番最初にレジの方に言いました。「○○さんから言われているのですが…」最後まで言う必要もなく、途中でその方が、「承知しております」と言って、私を通してくれました。最高の気分でした(^^)。
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神様から受けるためには信仰が必要です。しかし、神様はケチな方ではありません。神もまた与える神だからです。むしろ、神こそが与えたくてどうしようもない方なのです。
今日も与えることができるように、約束を信じ、求め、満たされて参りましょう。
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