今日のみ言葉【No.1411】(2016年11月14日) 043 「ザアカイ」(3)
ザアカイは立って主に言った、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」。
(ルカ19:8)
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「倍返しだ!!」とは何年か前に流行した言葉です。
人々に強烈な印象を与えたのは、これが復讐の意味を持ったフレーズだったからです。
「やられたらやり返す」
この激しさが、絶えずストレスにさらされている現代人の心を刺激して、流行語大賞に選ばれるまでになったのでしょう。
聖書のザアカイの場合の償いは、これとは全く別物です。
しかも倍返しにとどまらず、自主的に4倍返しをすると申し出ました。
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律法によれば、盗んだものを返す場合、2倍にして償うことになっていました。
「もし人が金銭または物品の保管を隣人に託し、それが隣人の家から盗まれた時、その盗びとが見つけられたならば、これを二倍にして償わせなければならない。」
(出エジプト記22:7)
また、自首した場合は、元の額に5分の1を加算して返す規定になっていました。
「または偽り誓ったすべての物を返さなければならない。すなわち残りなく償い、更にその五分の一をこれに加え、彼が愆祭をささげる日に、これをその元の持ち主に渡さなければならない。」
(レビ記6:5)
ザアカイはいわば自首した方ですから、不正に取り立てをしていたのなら、その分を人々に返金し、プラスその5分の1を加えれば十分律法を守ったことになります。
しかし彼は、自分から法外な返却を申し出ました。
「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」
(ルカ19:8)
ザアカイの心の向きは全く変えられていました。
そうせねばならぬ、から、そうしたくてたまらない人生の始まりです。
イエス・キリストと出会い、罪赦され、救いにあずかった後の人生は、
「自分の生活の全てを神に捧げなければならぬ」
という掟に縛られるような人生を送らなければならないのではありません。
そうではなく、自分の人生を神に明け渡して、
「どうぞお用い下さい」
と捧げたくてたまらない人生へと変えられていくのです。
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ある教会では、週1回、会堂掃除の日があります。
そこには自主的にお掃除をしたいという人が集まり、お昼をはさんで、午前午後、半日かけて会堂を磨き上げるようにお掃除をします。
強制でも、義務でも、当番だから、というのでもありません。
「私たちの会堂だからきれいにしたい」
その思いを持った人たちがお集まりになるのです。
牧師が言うには、
「まるで中高生の部活のように、皆さん楽しく、和気藹々となさっています」
だそうです。
もし、「当番だからやっている」となると、「あの人はやっていない」という批判や不平が心に入り込んできて、教会生活がギスギスしたものになるかもしれません。
しかし、イエス様に救われた御恩に何とかして報いたい、という思いでやっている人は、掃除の日に来ない人のことなどまるで関係ありません。
「どうぞご自分のことを精一杯なさって下さい。お祈り申し上げます。」
と思い、自分は楽しくお掃除をしていらっしゃいます。
救われた者が集められる天国の予告編のような情景がこの教会の中に見えます。
一人ひとりが、救われたザアカイとして、神への応答を果たしているからです。
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イエス・キリストとの出会いは、あなたの人生を、「せねばならぬ」から「したくてたまらない」、へと変えて下さいます。
救われた喜びを体験し、その喜びに浸る一日として参りましょう。
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