今日のみ言葉【No.1404】(2016年11月 5日) 041 「ヤコブとヨハネとその母」(2)

イエスは答えて言われた、「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」。彼らは「できます」と答えた。
(マタイ20:22)

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コンビニで人気アイスのガリガリ君を買った人が、レジで

「袋いりません」

と言いました。

すると店員さんは不思議そうな顔をしました。

そして、おもむろにガリガリ君の袋をむいてくれたそうです。

いや、そうじゃないんだけど(笑)!!

この程度の思い込みなら笑い話で済ませられますが、人生の重要なことを思い込みで決断していることが実際には多くあります。

ヤコブとヨハネとその母もその道をたどった人たちです。

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イエス様はマタイ20章のこの個所の直前に、はっきりと自分の生き方を示され、真のメシヤ像を示しておられました。

「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に渡されるであろう。彼らは彼に死刑を宣告し、そして彼をあざけり、むち打ち、十字架につけさせるために、異邦人に引きわたすであろう。そして彼は三日目によみがえるであろう」
(マタイ20:18-19)

ところが、ヤコブとヨハネとその母の3人が考えていた「救い主」のイメージは、それを聞いていても認めることが出来ない、思いこみに近いものでした。

自分たちが求めているものは、イエス様が飲もうとしている「杯」とはまったく違ったものだったのです。

(1)彼らが求めていたものは何だったのでしょうか?

→ 出世であり、現世での幸福です。

(2)イエス様が使われた「杯」とは何を意味するのでしょうか?

→ 十字架の死です。

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求めているものが見当はずれです。また、こんな杯を彼らが飲めるはずはありません。

しかし、イエス様から

「あなたがたは、自分が何を求めているのか、わかっていない。わたしの飲もうとしている杯を飲むことができるか」
(マタイ20:22)

と指摘され、問われた時、母親に口利きしてもらったという負い目があったのかもしれません、

「彼らは『できます』と答えた。」
(マタイ20:22)

と勢いこんで返事をしていました。

当然イエス様から、

「ふざけるのもいい加減にしなさい!あなたたちは何にも分かっていない!もういっぺん勉強し直してきなさい!」

というキツイお叱りの言葉をもらった…、でしょうか。

いいえ、イエス様から出たのは意外な言葉でした。

「確かに、あなたがたはわたしの杯を飲むことになろう。」
(マタイ20:23)

イエス様は彼らを受け入れ、杯を飲む、すなわち、ご自分と同じ受難の生涯を送る、と、彼らの言葉を全面肯定されたのです。

実際、ヤコブは12弟子の中で最初の殉教者となり、ヨハネは迫害を受けてパトモス島へ流刑になります。

彼らの人生の終わりは、マタイ20章で願った右大臣・左大臣とは全く正反対の「杯を飲み干す人生」となったのです。

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私たちは皆、神様へ自分の思い込みを向け、見当外れの信仰を持って進み出しました。

キリストはそういう私たちを拒みはしません。

むしろ、生まれたての赤子を抱くように私たちを育ててくださる方なのです。

赤ちゃんは何語かわからない言葉を発し、ただ泣き声をあげるだけです。

しかしお母さんにはそれが、

「お腹が空いたのね」
「おむつ交換ね」
「眠いのね」

と全てわかります。

そのように、神様は私たちがとんでもないことを言葉にして言ったとしても、その意を汲み取り、神の御心を果たす方向へと私たちを成長させて下さるのです。

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まず一歩、あなたが良いと思える方向へ踏み出してみましょう。

その後は神様が修正し、正しい目的地へ導いていって下さいます。

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