今日のみ言葉【No.1390】(2016年10月19日) 036 「マルタとマリヤ」(3)
しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである。
(ルカ10:42)
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私が使っている日本語入力ソフトは、ある程度の時間が経つと警告を出してくれます。
「そろそろ休みませんか?」
画面には、私が何分キーを打ち続け、何文字打ち、誤入力がどのくらいあるか等のデータが示されています。
指の移動距離71メートル、などという数字もありました。
私はまだまだやれると思っていましたが、
「そういえば、ちょっとつらさを感じてきた」
と自覚しました。
実は「まだまだやれるけど、ちょっとつらいなあ」と感じるくらいが、客観的に判断された自分の限界なのです。
あなたはこの限界を越してもまだやり続けることができます。
しかし、「つらいなあ、しんどいなあ」という感覚は心と身体が発する警告ですから、それを押し隠して頑張り続けると、今度は自分ほど頑張っていない人たちに対してイライラを感じ、批判が出るという症状が出てきます。
ルカ10章のマルタはこの段階まで来ていました。
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イエス様はマルタをやさしく受け止め、彼女の今の状態を責めるでもなく、正すでもなく、彼女のありのままの姿を示されました。
イエス様はマルタを完全に受容された後、
「しかし、無くてならぬものは多くはない。いや、一つだけである。マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである。」
(ルカ10:42)
と語られました。
マルタの奉仕は悪いことではありません。
しかし、つらさを覚え、働かないでいるマリヤを責めたくなったということは、彼女の限界が来たということであり、その時点で神への奉仕のレールから脱線したということです。
まず神の御言葉を聞き、その感謝の応答として奉仕をさせていただく。
これが王道です。
たとえその道から外れても、神は私たちを元のレールに乗せようとして下さいます。
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外れたなあ、と思ったら、まず御言葉を聞くことから再開しましょう。
神のレールの上で快走する一日でありますように…。
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