今日のみ言葉【No.1382】(2016年10月 4日) 034 「口をきけなくする霊につかれている息子とその父」(1)

ああ、なんという不信仰な時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまで、あなたがたに我慢ができようか。
(マルコ9:19)

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マルコによる福音書第9章14節〜29節に登場する息子の状態については、他の福音書でも様々な描写がなされています。

マタイ17章では「てんかん」と記され、ルカ9章では「霊が取りつき」と記されています。

これらは、現代医学で言われるような病名がつけられない、それを越えた霊的なものによるものであると考えられます。

この人は、「幼い時から」このような状態であったとされており、ルカでは「ひとり息子」と記されています。

この子を連れてきた父親、また家族全体は、同じ症状を持たないにせよ、同じく痛みと苦しみを持つものです。

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この子の父親はイエス様が変貌山に行っていないと知り、がっかりしたことでしょう。

しかし、お弟子さんに祈っていただければ癒されると考え、弟子たちに頼みました。

その結果はどうだったでしょう?

山からちょうど降りてきたばかりのイエス様に父親がこう言います。

「お弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願いましたが、できませんでした」
(マルコ9:18)

この時、弟子たちは何をしていたのでしょう?

「大ぜいの群衆が弟子たちを取り囲み、そして律法学者たちが彼らと論じ合っていた。」
(マルコ9:14)

どうやら、子供を癒すことができなかった弟子たちに、律法学者たちが絡んできたようです。

「お前たちは口ばかり達者だな!」

「言ってることとやってることが違うではないか!」

そんな声が聞こえてきそうです。

弟子たちはこれに応じてしまいました。自分を守り、防御しようとしたのです。

あるいは、自分たちの無能さから目を背けることができるため、これ幸いとばかりに律法学者たちと議論を始めたのかもしれません。

悪霊につかれた子供とその父親は置き去りにされ、弟子たちは自分のことで精一杯で、必死に言い合いをしている…。

何の希望も進展もないところに、イエス様は帰ってこられました。

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「ああ、なんという不信仰な時代であろう。いつまで、わたしはあなたがたと一緒におられようか。いつまで、あなたがたに我慢ができようか。」
(マルコ9:19)

これはイエス・キリストの嘆きとため息です。

癒されなかったのは、弟子たちが神の力を信じきれていなかったからです。それが「不信仰な時代」という言葉で表されています。

群衆や弟子たちは目先のことだけ見て、イエス様がこの世に来た目的である「救い」や「神の国の支配」というものを理解していません。

ですから、

「いつまで、あなたがたに我慢ができようか」

とイエス様はおっしゃいます。

しかしそれは

「もう我慢ができない。やーめた!」

という単純なあきらめを意味しているのではありません。

一緒にいられる期間はもう少ないが、時の許す限り全力を尽くす、と前向きにエンジン全開で回す時に出る排気ガスのようなもの。

それが嘆きとため息です。

それは、最後まで重荷を負い抜き、最後まで共に耐えてくださるイエス・キリストの意気込みなのです。

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「愛はいつまでも絶えることがない」
(第1コリント13:8)

との御言葉を信じ、今日も私たちをあきらめず、忍耐しながら見守ってくださるイエス・キリストと共に歩んで参りましょう。

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