今日のみ言葉【No.1290】(2016年 5月23日) 003 「シメオン」(1)
その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。
(ルカ2:25)
——————
ペテロとパウロは有名な実在の人物ですから、聖書以外の資料にも彼らのことは書かれており、特にその風貌は絵によって残されています。
ペテロはハゲ頭で描かれています。頭のてっぺんからハゲるタイプです。
パウロもハゲでした。彼の場合は額の方から禿げていくタイプです。
なるほど、共に栄光に輝く人だったわけです(笑)。
今日のシメオンは聖書だけに出てくる人で、その様子は詳しくはわかりませんが、高齢になるまでイエス様の誕生を信じて待っていた人でした。
-*-*-*-*-*-*-
幼な子イエス様は両親に抱かれてエルサレムの宮に行きました。
そこで待っていたのがシメオンです。
「この人は正しい信仰深い人で」
(ルカ2:25)
とありますから、律法を守り、試練の中でも神の約束を信じ抜いた人でした。
試練を通されて、信仰というものは深くなるものです。
-*-*-*-*-*-*-
様々な試練の中で、一番大変なのは、
「神様はいないのではないか」
と思わされる試練です。
祈っても聞かれないし、御言葉が与えられたと思ってもその通りにならない…。
「あれ?話が違うんじゃないの?」
と思わされる時です。
-*-*-*-*-*-*-
当時のイスラエルはまさにそのような状況の中にありました。
ローマ帝国の支配の下、納めなくてもいい税金を納めさせられ、聖書の律法よりもローマ帝国の法律の方が適用される屈辱の時代です。
スーパーマンのように天からヒーローがやって来て、ローマ帝国を打ちのめしてくれる…、はずもありません。
いくら神に祈ってもこの状況は変わりません。
すると、
「神など最初からいなかったのだ」
「信じているだけ損なのだ」
と思いたくなります。そうやって自分を慰めたくなるのです。
その中で、
「神様は真実な御方だから、必ず約束は果たされる」
と、目の前の現実にも関わらず、信じ抜くことは並大抵のことではありません。
シメオンにはこの信仰深さが養われていました。
これは我力ではできません。
「聖霊が彼に宿っていた」
(ルカ2:25)
とある通り、内なる聖霊が彼を励まし続けておられたので、そのように待っていられたのです。
-*-*-*-*-*-*-
現実は変わる時にはアッと言う間に変わるものです。
御言葉の確かさを信じ、内なる聖霊のみ声を聞きながら、今日の一日の確かな歩みをして参りましょう。
-*-*-*-*-*-*-
※御言葉メールが届かない方へ
ご自分の「迷惑メール設定」を変更し、
maruyama@mikotoba.org
を受信許可に設定変更して下さいますようお願いいたします。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません