今日のみ言葉【No.1284】(2016年 5月16日) 001 「ヨセフとマリヤ」(1)
そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」。
(ルカ1:38)
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「夕焼小焼の、赤とんぼ
負われて見たのは、いつの日か」
童謡「赤とんぼ」の歌詞です。
作詞した三木露風は、その創作過程を「蜻蛉(とんぼ)随想」と題してこう書いています。
「家で頼んだ子守娘がいた。その娘が、私を負うていた。広場に、赤とんぼが飛んでいた」
その当時、地方から都会に出てきた子守娘がいたのです。
その「姐(ねえ)や」は3番の歌詞でこう歌われています。
「十五で姐(ねえ)やは、嫁に行き
お里のたよりも、絶えはてた」
数え年15ですから、満年齢では14歳です。
昔はその年頃で結婚していたのです。
イエスの母となった時のマリヤも同じような年頃だったと思われます。
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イエス様と最初に出会った人は、当たり前のようですが、その両親、つまりヨセフとマリヤです。
イエス様はこの二人の「従順」によって地上に誕生することが出来ました。
ある時、マリヤの前に突然、御使ガブリエルが現れ、こう告げます。
「見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい。」
(ルカ1:31)
御使を見るだけでも驚きなのに、神の子を宿すという常識外れの御告げを授けられ、マリヤの心はどんな状態だったでしょうか。
しかし彼女の取った態度は、神の前に身を低くし、神の御心に従うというものでした。
「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」
(ルカ1:38)
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ヨセフと婚約中のマリヤが妊娠したとしたら、人々はその事態をどのように解釈するでしょうか?
ましてヨセフ自身はどのような気持ちでその事実を受け止めるでしょうか?
出産後の自分の生活は保証されるのでしょうか?
それら一切の思いを越えて、マリヤは神に従う選択をしました。
自分の思いにとらわれるのが人間です。
素直にスッと一直線に進むことは滅多にありません。
自分が原因でないことに振り回されながら、葛藤しながら、その中で神の御心としての自分の人生を選び取っていくことが、この世に神の業を進めていくのです。
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「赤とんぼ」の作詞家、三木露風は、人生の初期で両親の離婚による影響を受けます。
母親は彼が6歳の時に離婚し、彼の弟を連れて実家に帰り、露風は一人、祖父のもとで育てられました。
後に北海道のトラピスト修道院に国語の講師として赴任し、その庭に群れ飛ぶ赤とんぼを見て、大正11年に「赤とんぼ」の歌詞を発表します。
彼は翌年、トラピスト修道院で洗礼を受けています。
もしかすれば両親の自分への仕打ちを恨み、自分の運命を呪ったとしてもおかしくはなかったかもしれません。
しかし彼は4番目の歌詞で、イエス・キリストを信じる信仰を選びとった後の平安を表しています。
「夕焼小焼の、赤とんぼ
とまっているよ、竿の先」
このメロディを作曲した山田耕作もクリスチャンです。
日本人の心を潤し続ける神の祝福は、二人のクリスチャンの労苦から生まれ、三木露風の救いを選びとる神への従順があったことを覚えていきたいものです。
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神の御心を選びとる一日として参りましょう。
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