今日のみ言葉【No.981】(2015年 2月16日)
主を恐れることは知識のはじめである
(箴言1:7)
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今はセレモニーホール等の専門の式場でお葬式をするのが一般的になっていますが、昔はお寺でするが普通であり、家でする場合もお坊さんに来てもらうのが当たり前でした。
そのような時代、キリスト教式で葬儀を営む場合、親戚や周りの人への相当な配慮を必要としましたし、時には説得しなければなりません。
かなりの抵抗に会った結果、私が学んだ事実があります。
それは、葬儀には必ずキーパーソンがいる、ということです。
親戚や会社の中に、必ずこの全体を仕切ろうとする方がいらっしゃるのです。
ただ、そのような人は表立ってふんぞり返ってはおられません。
極めて謙遜なのですが、影響力が大きいため、他の全員がその方の意向がどうかを見守っている雰囲気が感じられます。そしてそちらの方向に傾くことが分かりました。
ですから、まずその人が誰かを見極め、恭しく尊敬を持って接し、その人に全力を集中して理解を求めます。
そこに集まった人たちを動かす力のある人は誰か。
それが一番のポイントであり、スムーズに進ませるための知恵の結晶でした。
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箴言は知恵の言葉です。
その基本として根底に横たわるものは、
「主を恐れること」
だとスタートの第1章で語られています。
これは「いつバチが当たるか…」とビクビクしながら生きることではなく、主である神に対して畏敬の念を抱き、一歩も二歩も下がって謙虚な気持ちで接するということです。
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それはちょうどスポーツで審判に目をとめることと同じです。
試合中、全体を支配するのは、ジャッジ、アンパイヤ、レフェリーとも呼ばれる審判です。
チームの監督よりも力があり、その試合を決定するのは審判なのです。
まして観衆のその場限りのヤジで動かされるのではありません。
誰が一番力があるのか。
そこを見極めてプレーするのが賢い選手です。
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主を恐れることは知識のはじめです。
人生の審判者がいることに気づき、そこに目をとめ、知恵にあふれる生活を送る一歩を踏み出して参りましょう。
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