今日のみ言葉【No.1233】(2016年 2月23日)
見よ、わたしがユダとエルサレムとの幸福をもとに返すその日、その時、
(ヨエル3:1)
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真面目な科学の実験で、
「雨が降る中、横断歩道をわたって向こう側に行くのに、歩いて渡るのと走っていくのとでどちらが雨に濡れないか」
というものがあります。
進むスピードが速ければ、水平面で多く雨粒に当たることが予想されます。
しかしスピードが遅ければ、垂直面で多く雨粒に当たることが予想されます。
実験結果は、走って行った方が濡れません。
試練の雨が降り注ぐ中では、立ち止まらずに、濡れながらでも歩き抜き、走り抜いて行くことが正しい選択肢のようです。
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イナゴの襲来という大災害で始まったヨエル書は、第3章で幸福がもとに返されることで終わります。
イスラエルをイナゴの大群のように襲い、迫害し略奪した異邦人に対する裁きが下されます。
そして、
「われわれの目の前に食物は絶え、われわれの神の家から喜びと楽しみが絶えたではないか。」
(ヨエル1:16)
という嘆くばかりの状況は、
「その日もろもろの山にうまい酒がしたたり、もろもろの丘は乳を流し、ユダのすべての川は水を流す。泉は主の家から出て、シッテムの谷を潤す。」
(ヨエル3:18)
という繁栄に変えられます。
ただしこのことは、願ったら今すぐ出てくるインスタント食品のようなものではなく、世の終わりの時代の描写ですから、私たちは
「その日、その時」
を待たなければなりません。
幸福には、今すぐかなうものもありますが、
「その日、その時」
が来るまで待たなければならないものもあるのです。
それは主の御手の働きを通してやってきます。
私たちはその働きに参加させていただける恵みに預かっていますが、主導権を持っているのは神です。
神は御心のままに
「その日、その時」
をお決めになります。
しかしそれは必ずやって来ます。
その未来に支えられて現在を生き、様々な矛盾や問題を乗り越えて生きていく力を聖書は私たちに与えてくれるのです。
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Y子さんは、短気で怒りっぽい夫、口やかましい姑、言うことを聞かない子供という三重苦にあえいでいました。
しかし仕事をしていたので、家庭での苦しみは外に出れば味わわなくてすみます。
職場が憩いの場、家庭が戦いの場、という現実に生きていたのです。
しかし、いつまでも逃げていてはいけない、「きっと幸せが来る」と前向き肯定的に人生を生きていこう、と、彼女は神を信じる決心し、洗礼を受けられました。
彼女は祈りました。
「神様、どうぞ夫を変えて下さい」
すると、奥様が変わった姿を見て、ご主人も教会に来るようになり、洗礼を受け、夫婦ともども礼拝に出席するようになりました。
絵に描いたような幸せな姿です。
しかし、あろうことか、働き盛りのご主人に病が襲い、数年後、天に召されました。
その後も、試練につぐ試練で、周りの人々の方が、
「神を信じているのにどうして…」
とつぶやきたくなる現状が続きました。
しかしY子さんは前に向かって進み続けました。
試練の雨でびしょびしょになりながら、それを厭わず、走り続けられました。
あれから20年。
気がつけば、口うるさかった姑に仕え続けた結果、彼女もイエス様を信じてクリスチャンとなり、天に凱旋していかれました。
娘も洗礼を受け、孫も洗礼を受け、クリスチャン一家となっていたのです。
一人の魂を救いに導くだけでも大事業なのに、Y子さんを通して次々と救われる方が起こされています。
試練の中、
「その日、その時」
があることを信じて、進み続けた結果です。
神は信じる者を決して裏切ることはなく、人間が願う以上の祝福を用意して待っていてくださるのです。
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神の時があります。
「その日、その時」に出会うまで歩み続けて参りましょう。
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