今日のみ言葉【No.1228】(2016年 2月17日)
それゆえ、あなたはあなたの神に帰り、いつくしみと正しきとを守り、つねにあなたの神を待ち望め。
(ホセア12:6)
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「恐れ」というストレスにさらされた時、人は2種類の両極端の反応を示します。
逃げるか、立ち向かって戦うかです。
聖書はそのどちらでもない第3の道を示します。
それは、あなたの神に帰れ、ということです。
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預言者ホセアの時代、イスラエルはアッスリヤという外敵の脅威にさらされていました。
そこであれこれと外交政策によって解決を図ります。
「アッスリヤと取引をなし、油をエジプトに送った。」
(ホセア12:1)
しかしそのようなことは、風を自由に操ることなどできないのに、その風を牧する試みのようなものです。
「エフライムはひねもす風を牧し、東風を追い」
(ホセア12:1)
何の良い結果も生み出しません。
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神がホセアを通して語っておられることは、ヤコブがその弱さを覚えて神に立ち返ったように、あなたがたも神に戻って来なさい、ということです。
ヤコブが夜通し御使いと戦って、最後にもものつがいが外され、自分の弱さを徹底的に味わい、
「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」
(創世記32:26)
と神にすがった事実がありました。
神は
「それゆえ」
と語ります。
「それゆえ、あなたはあなたの神に帰り、いつくしみと正しきとを守り、つねにあなたの神を待ち望め。」
(ホセア12:6)
体の弱さを覚え、経済の弱さから先行きに不安を覚え、人間関係の脆さから人と接することに恐れを抱き、私たちは常に弱さと背中合わせに生きています。
生きていく中で弱さと恐怖を感じた時に、逃げるでもなく我力で戦うのでもなく、神に帰ること。
そこから今までとは質の違った歩みが始まっていきます。
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教会ですから、私のところには時々
「死にたい」
という電話がかかってきます。
私はその瞬間から、即座に自分のことを全停止し、その電話に全力を傾けなければなりません。
ただただ聞くだけです。
こちらがアドバイスめいたことを言った瞬間に
「プツン…」
と電話が切られたら、あとはその人の命はどうなるかわからないからです。
ただし、教会に電話をかけてくるということは、「死にたい」と言いながらも、その人には実は「生きたい」という願いがあるということです。
ただ、その方には自分の「生きたい」という切なる願望は見えず、ただ強烈に「死にたい」という願望だけが感覚としてあるのです。
お話を伺いながら私がひそかに探るのは、その人の「生きたい」というエネルギーがどこに出て現れているかです。
特にそれは、その人の
「こだわり」
に現れます。
今日明日にでも死のうとしている人が、なんでそんなことにこだわるのか…。
もうこの世を去ろうと決めている人が、なぜその部分をくどくどとしゃべりだすのか…。
その「こだわり」を見つけられたら、いよいよ反撃のチャンス到来です!
ある方は、自分の日記が家族に見られた形跡を発見したことでした。
「ゆるせない!」
このこだわりこそ生きるエネルギーの現れです。
そこで、
「あなたには随分生きる力があるのですね」
と切り出していきます。
「ないです!」
という返答に対しては、
「ほら、そこまで強く私に反発しているでしょう。家族を許せないでしょう。それがあなたの生きる力の強さのように感じられますが…」
と言葉を投げかけます。
そこから細い糸を慎重に手繰り寄せ、
「あなたは本当は生きたいのではないか」
「ただ、生きる方法がわからず、今見えるのは自分の弱さと、この先どうなるかわからないという恐怖だけなのではないか」
と問うていきます。
そして最終的に、神があなたと共におられて、天国へと導いてくださるのだから、神様が定めた命の終わりの時まで、急がずに生きていきましょう、と告げて電話は終わります。
相手にとって、もうそれで十分だからです。
神に立ち返った先には、その人の手に希望が握らされています。
そこから先は、もう自分で歩いていけるのです。
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自分の弱さを覚える時こそ、神に立ち返る時です。
今日も神と歩幅を合わせながら、一歩々々、歩んで参りましょう。
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