今日のみ言葉【No.1155】(2015年10月15日)

主よ、あなたに帰らせてください、われわれは帰ります。われわれの日を新たにして、いにしえの日のようにしてください。
(哀歌5:21)

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私は3人兄弟の長男なので、父が亡くなった時に「相続」という問題に直面しました。

全く何もわからない素人なので、弁護士さんに相談し、ご指導を受けましたが、その時初めて

「相続とはプラスの財産もマイナスの財産も合わせて全て引き継ぐものだ」

ということを知りました。

つまり、親に借金があればそれはマイナスの財産となり、相続するならその借金を息子である私が払うことになるわけです。

あわてて調べて借金はないことが分かり、ホッと安心しました。

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哀歌第5章に出てくる人々は、親の借金を背負わされた息子・娘のようなものです。

彼らは神の裁きによって苦痛にあえいでいるわけですが、これは親の罪、祖父の罪、さらにそのまた先祖が犯した罪の報いです。

「われわれの先祖は罪を犯して、すでに世になく、われわれはその不義の責めを負っている。」
(哀歌5:7)

自分たちの行動とは全く無関係の罪の代償を払わされているのです。

「お前たちのせいでこうなった。どうしてくれる!」

と、絶対に親を許さないと叫んだとしても、既にこの世にいないのですからどうしようもありません。

また、神に助けを呼び求めようとしても、その神が下している裁きなので逃れようがありません。

本当にどうしようもないのです。

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この苦痛の極みで彼らが到達した信仰の境地とは、

「わざわいなるかな、われわれは罪を犯したからである。」
(哀歌5:16)

と、先祖の罪は自分たちの罪である、と同一視したことです。

それは、人生をどうでもいいこととして諦めたのではなく、神との接点を作り出すための事だったのです。

つまり、先祖と私たちは同じです、という認罪です。

ここにおいて、

「主よ、あなたに帰らせてください、われわれは帰ります。われわれの日を新たにして、いにしえの日のようにしてください。」
(哀歌5:21)

という祈りが成り立ちます。

プラスの財産とマイナスの財産の両方を引き継いで初めて相続が成り立つように、先祖の罪というマイナスの財産を自分のものとして受け入れ、神との関係を正しくしたのです。

このことによって、彼らは神の祝福の流れの中に今一度入れるように神に願うことができました。

「主よ、あなたに帰らせてください」

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現在の私たちが二千年前のキリストの十字架を信じて罪がゆるされるというのは、これと同じ論理なのです。

私たちは二千年前に生きていたわけではありませんし、ましてイスラエル人ではありません。

しかし、

「十字架につけよ」
(マルコ15:13)

と叫んでいたのは私である、あるいは、

「もし私がその時その場にいたら、きっと同じことを叫んでいたことだろう」

と認めることによって、二千年前のキリストの十字架の前にいる群衆と同じになります。

ですから、彼らに与えられた

「キリストを信じることによって得られる罪のゆるし」

は、私たちにも適用されるのです。

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「主よ、あなたに帰らせてください」と神の恵みに寄りすがる一日として参りましょう。

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Posted by wp2016_toko