今日のみ言葉【No.1118】(2015年 8月29日)
わたしは命の道と死の道とをあなたがたの前に置く。
(エレミヤ21:8)
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8月15日の終戦記念日近辺にご高齢の方を訪問すると、必ず戦争の話をされます。
「日本は必ず勝つ。最後には神風が吹いて敵を負かす」
と教えられていたそうです。
鎌倉時代に中国から元寇が攻めてきた時、強風で敗れた史実を元にした話です。
しかし神風は吹きませんでした。
神の御心に反した日本の軍国主義は滅ぼされました。
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エレミヤ書第21章では、この神風と同じことを期待するゼデキヤ王が登場します。
彼はかつてヒゼキヤ王の時代、アッスリヤの大軍が神の手によって一夜にして滅ぼされたことと同じ御業を神がなしてくださることを期待したのです。
神がエレミヤに語らせたことは、
「わたしは命の道と死の道とをあなたがたの前に置く。」
(エレミヤ21:8)
という厳粛なものでした。
ただし、勇ましく戦えば神は助けてくれる…、というゼデキヤの自己中心の思い通りではありません。
助かる道は敵に降参すること。死の道とは戦うことでした。
つまり、自分が正しいと盲目的に思っている立場をひっくり返してごらん、ということです。
自分の方が神の御心に反している。
だから、戦えば戦うほど神に反することになる。
この場合、降参することが神の御心であり、異国の地に連れて行かれることにはなりますが、命をつなぎ、その先に神が用意された未来が与えられるのです。
自分は今どちらの側にいるのか。
神の側かその反対の側か。
今日のチエックポイントはそこの所です。
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イスラエルの民が40年の荒野の生活を終え、いよいよ約束の地へ入り、エリコを攻め取る直前、指導者ヨシュアは不思議な体験をしました。
「ヨシュアがエリコの近くにいたとき、目を上げて見ると、ひとりの人が抜き身のつるぎを手に持ち、こちらに向かって立っていた」
(ヨシュア記5:13)
そこでかれはこう問いただします。
「あなたはわれわれを助けるのですか。それともわれわれの敵を助けるのですか」
お前は我らの味方か敵か、と問うたのです。
するとその人は
「いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」
(ヨシュア記5:14)
と告げました。神の使いだったのです。
ここにおいて、自分を中心として考えるヨシュアが、神中心に考えるヨシュアへと転換します。
「ヨシュアは地にひれ伏し拝して言った、『わが主は何をしもべに告げようとされるのですか』」
(ヨシュア記5:14)
主の軍勢の将が言ったことは、
「あなたの足のくつを脱ぎなさい。あなたが立っている所は聖なる所である」
(ヨシュア記5:15)
でした。
くつを脱ぐとは、主権を主なる神に明け渡す、ということです。
ヨシュアはそのようにしました。
その後、神は難攻不落のエリコの町を驚くべき方法でヨシュアの手に渡しますが、それはくつを脱いで神に従う決心をしていなければ、到底受け入れられない方法だったでしょう。
神に明け渡すこと。これが命の道を歩み通す秘訣です。
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今日も神に明け渡すスタートをもって一日を始めて参りましょう。
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