今日のみ言葉【No.1086】(2015年 7月14日)
このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。
(イザヤ55:11)
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オーストラリアのブリスベンに2ヶ月ほど滞在した時のことです。
日本と違って水は貴重なものなので、流水で食器を洗うということはしません。
かならず食器洗い用の容器に水をため、洗剤を入れ、その中で汚れを落とします。
経済的、かつ、節水です。
これは学ばなければならないと思いました。
しかし驚いたのは、ホストファミリーが食器を洗剤で洗った後、一切水で流さないことです。
泡のついたまま、そのまま。
そして乾いたら、そのお皿にそのまま料理を盛りつけます。
唖然として
「Why?(なぜだ?)」
と説明を求めると、
「口に入っても害のない成分を使っている」
と、さもオーストラリアの科学力を誇示するようなお答えでした。
私は一応、工学部応用化学科出身なので、
「You’re kidding!(嘘だぁ〜!)」
と信じませんでした。
オーストラリアは節水が常識。日本は化学物質除去が常識。常識と常識のぶつかり合いです。
そこで、双方話し合いの末、コップ一杯の水を食器の上からかけて、泡だけは見えないようにする、ということで妥協しました。
日本がいかに水資源が豊富であり、ジャブジャブ当たり前に使っているのが世界的に見てかなりの贅沢だということがよくわかりました。
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さて、神の世界の常識はどういうものなのでしょう?
「さあ、かわいている者はみな水にきたれ。金のない者もきたれ。来て買い求めて食べよ。あなたがたは来て、金を出さずに、ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ。」
(イザヤ55:1)
これが神の世界の標準です。
オーストラリア人が日本に来て、水を「垂れ流し」しながら食器を洗っている姿を目にして、
「Unbelievable!(信じられない!)」
と叫ぶかもしれませんが、日本人にとっては昔も今も同じことをしている当たり前の日常です。
神の世界もこれと同様で、
「ただでぶどう酒と乳とを買い求めよ」
が当たり前なのです。
これはイエス・キリストが十字架で私たちの罪の負債を全て支払って下さったおかげです。
神の豊かさを享受できるのは、キリストの十字架のゆえなのです。
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今日の聖句の
「わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない」
(イザヤ55:11)
とは、神が語られた約束は、そのまま立ち消えになったり、果たされることなく終わった…、などということはない、ということを表しています。
言った言葉が何もせず、ただやまびこのように帰ってくるのではない、というのです。
「わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す」
(イザヤ55:11)
のですから、神の言葉が語られたところでは、神の御心が必ず果たされるのです。
キリストの十字架の約束が果たされるのは、この神の保証があるゆえです。
イエス・キリストがなされたわざを信じ、十字架の罪のゆるしは私のためであったと信じる時、その人には永遠の命が与えられ、神の豊かさを受け継ぐ者となります。
そこから先の人生は、神の命の水が豊かにあふれる人生が始まっていくのです。
「しかし、わたしが与える水を飲む者は、いつまでも、かわくことがないばかりか、わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が、わきあがるであろう」
(ヨハネ4:14)
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J兄は多額の借金を抱えておられました。
彼は先にクリスチャンとなった奥様に連れられ、教会に来られました。
そしてキリストの福音のメッセージを聞き、事業の失敗やその他すべての問題の原因は、自分の罪の故である、とスパッと認め、明確な悔い改めの体験をしました。
思い切って会社をたたみ、財産を処分しましたが、それでも足りません。
彼は神の助けがあることを信じ、前向き肯定的、明るい考えを持って、借金の返済のために夜昼働きました。
そしてその苦労の甲斐あって間もなく借金は完済しました…、となればめでたしめでたしのテレビドラマのようですが、現実にはもっと起伏に富んだストーリー展開が待っています。
彼は勤めていた工場の機械に指を挟まれ、切断という大怪我をしてしまいました。
もちろん労災ですから、ある程度の経済的保障はされますが、今後、仕事はできるだろうかという心配。さらに、他の指の移植の手術、動かせるようになるまでのリハビリ等の試練が続きます。
それでも彼は、神の愛を疑わず、前向きに生き、むしろそのような試練を通った人でなければわからない気持ちを体験し、他の試練真っ最中の人々を慰める働きをするようになりました。
さて、神の不思議なご計画は、何十年かたって分かりました。
J兄は障害者と認定されたので、障害者枠で働くことができるようになりました。借金も完済できましたし、年金は普通の人より早めにもらえることが分かりました。
何より、その神を信じるお父さんの生き方を目の前にしたお子さん全員が洗礼を受け、Jさんご一家はクリスチャンホームとなられました。
J兄は定年後、ますます豊かな人生を送っておられます。
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「わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない」
(イザヤ55:11)
この御言葉に支えられ、神の導きの方向へ、一歩足を進める一日として参りましょう。
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