今日のみ言葉【No.943】(2014年11月28日)
日のいずるところから日の入るところまで、主のみ名はほめたたえられる。
(詩篇113:3)
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食前の感謝の祈りに関するジョークです。
厳格な神学校の教授が、将来の牧師候補生たる神学生らに質問をしました。
「食前の感謝の祈りをする際、最も心がけるべきことは何か?」
学生はこう答えました。
「短いこと」
確かにそうかもしれません(^_^;)
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詩篇第113篇と114篇は、過越の祭りの食前に歌われた詩篇です。
なるほど、その状況なので短い詩篇なのかもしれません。
しかし行数は少なくても、そのスケールの大きさは破格です。
「日のいずるところから日の入るところまで、主のみ名はほめたたえられる。」
(詩篇113:3)
すなわち、全世界、全地球的規模で
「主のみ名はほめたたえられる」
情景をイメージしているからです。
これは地域・文化・人種・言語の壁を越えて、全ての人々が神を信じ、キリストの救いに入れられる様子を高らかに宣言していると言って良いでしょう。
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「人生どこに行っても落とし穴がある。この世は危険だ。人は簡単に信用しないほうがいい。」
という処世術はもちろんあなたの身を守ります。
しかしそこにとどまり続けている人生は、自分で自分の周りに牢獄を作っているようなものではないでしょうか?
それ以上に、
「日のいずるところから日の入るところまで、主のみ名はほめたたえられる。」
(詩篇113:3)
という神の言葉に信頼し、神が用意された人との出会いがある、と信じて一歩も二歩も踏み出していく人生には、本当に神をほめたたえる時が用意されています。
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30年前の1980年代、韓国の反日感情の根深さは多くの日本人は知らされていませんでした。
観光旅行でなく教会研修で行き、しかも一般の韓国人の家庭も訪問するプログラムがある、とアナウンスされた時点で、旅行関係者から
「こういう点に特に気を付けて下さい」
と戦争による心の傷跡の存在を知らされました。
これは両国民の悲劇です。
と同時に、私の心に芽生えた思いは
「国民の3分の1がクリスチャンの国なのだから、何か神の出会いがあってもおかしくないだろう。」
という希望でした。
そこで、スーツケースの一番上にわざわざ聖書を置いておくと、チェックの係員がニコッと笑って
「アイム・ア・クリスチャン・トゥー」(私もクリスチャンですよ)
と言って、スムーズに荷物検査を終えることが出来ました。
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数年後、2度目の韓国教会研修の折、今度は出国検査の時に引っかかり、別室に連れていかれました。
ああいう時に信仰深い牧師たちは冷たいものです。
「丸山先生、大丈夫だから」
「神様が守ってくださるから」
と言って、誰も私と一緒にいてくれる人はなく、さっさと自分たちは検査を終えて行ってしまうのです!
しかし旅行社の女性のガイドさんが一緒について下さり、猛烈に韓国語で係員にまくし立ててくれました。
私が分かった言葉はただ一つ
「モクサニン」
つまり、この人は
「牧師先生」
なのだから何の問題もない、と言っていたようなのです。
30分後、そのガイドさんのお陰で疑いは晴れ、私は解放されました。
本当に神が備えられた人だと感謝しました。
無事、飛行機の席につくと、例の日本人牧師らが
「ほら、大丈夫だったでしょう」
と言ったのには正直ムッとしましたが、それはまだ私が砕かれていない証拠です。
これをありがたく
「感謝です」
と将来言えるようになれるのだから、まだまだ成長の余地はあるなあ、と思い直し、それ以上に全世界に神の人を用意されている主の御業を感謝しました。
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神の御業は行く先々、全世界に広がっていることを思い、今日も神の人との出会いに気づけるように、心を配ってまいりましょう。
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