今日のみ言葉【No.4019】(2026年10月 6日)「ピラトの官邸での裁判(1)」

群衆はみな立ちあがって、イエスをピラトのところへ連れて行った。そして訴え出て言った、「わたしたちは、この人が国民を惑わし、貢をカイザルに納めることを禁じ、また自分こそ王なるキリストだと、となえているところを目撃しました」。
(ルカ23:1-2)

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ドライブレコーダーの設置が広まってきたので、交通事故の場面で、

「向こうの車がすごいスピードで私の車にぶつかってきた」

「いや、私は制限速度を守って走っていたのに、いきなりこの人の車が突っ込んできた」

などという、双方の主張が食い違う場合でも、事故の状況を客観的に確認できる場面が増えてきました。

しかし、裁判では、当事者が自分に有利な争点・事実・証拠を中心に出して、自分の正しさを主張します。

ましてや、聖書の時代、今から約2000年前の時代には、現在のように客観的に事実を確認する手段は限られていました。

それだけでなく、この裁判は、最初からイエス様を十字架刑に処そうとする強い目的を持った人々によって進められていたのですから、イエス様に不利になるように事実を歪めた主張がなされました。

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「群衆はみな」とは、ユダヤ人全員と言うことではなく、サンヘドリンの最高法院の人々を中心とした一団を指しています。

彼らが主導して、イエス様をローマの法廷、すなわちピラトの前に訴えたのです。

そこには3つの訴えがありました。

(1)国民を惑わしている。
→ 「この男は民衆を扇動し、社会秩序を乱している」

(2)カイザルに税金を納めることを禁じている。
→ 「ローマへの反乱を促している」という、事実に反する訴えでした。

(3)自分を王なるキリストだと称している。
→ 「この人はローマ皇帝の支配に対抗する王である」と受け取らせようとしました。

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あなたが人から誤解されたり、一方的な主張を浴びせかけられたりし、心がくじけそうになっているのなら、イエス様もまた、このような場面を通られたことを思い起こしましょう。

自分が味わっているこの気持ちは、誰からもわかってもらえないと感じるものですが、イエス・キリストだけは間違いなく理解され、あなたの痛みを共に担ってくださる御方です。

そして今度は、自分が力を持つ立場に立った時、力で押さえつけられた側がどのような気持ちになるのかを知ったあなたは、人を一方的に裁くのではなく、公正に判断しようとすることができます。

神がなさるわざは、その時は何の意味かわからないことがあります。

しかし、後になって、神がその出来事を用いてくださり、祝福となっていることがわかるのです。

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神の子イエス様の受難の意味を、しばし思いめぐらす今日としてまいりましょう。

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