今日のみ言葉【No.898】(2014年 9月25日)
日々にわれらの荷を負われる主はほむべきかな。神はわれらの救である。
(詩篇68:19)
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今日の聖句に
「日々にわれらの荷を負われる」
とあるように、神は私たちの荷を毎日負って下さいます。
その神のわざを実感するために私達がすべきことは、あなたが自分で重荷を背負おうとしないで、荷を神に預けることです。
「あなたの荷を主にゆだねよ。主はあなたをささえられる。」
(詩篇55:22)
ゆだねる時のポイントは、全て、一切、残らず、です。
自分の中から重荷がスッカラカンに無くなって、
「寂しいなあ」
と感じるまでにお預けします。
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すると、神様からの受領証として平安がやって来ます。
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
(マタイ11:28)
心に休みが与えられるのです。
その後は何もしなくていいのでしょうか?
いいえ、ちゃんと神様からあなたが負うべき新しい荷がやって来ます。
「ダマされた!」
と思わないで下さい。続く聖書個所で、
「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである」
(マタイ11:30)
とあるように、イエス・キリストが新たに与える荷は軽いのです。
今までの荷と変わりはないかもしれませんが、全く新しい意味が与えられ、軽い荷として感じられます。
日々にわれらの荷を負われる主と共にその荷を負わせていただけるからです。
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日本がバブル景気に走っていた頃、クリスチャンのT医師は壁に突き当たっていました。
それは慢性の患者さんに対する医療の限界と、それに関連して生じるベッド不足の問題でした。
いくら治療しても劇的な症状の改善はみられず、長期間の経過の後、死を待つのみ。
その間、病院のベッドは占有されているので、他の治療可能な患者さんを入院させられない…。
そのジレンマと自己の力の限界に多大なストレスを感じていたのです。
そのような時、ふと、
「まったく、ただのベッド塞ぎだ…」
とつぶやいてしまった自分自身に空恐ろしさを感じたと言います。
謙遜なT医師は自分の限界を認め、神に祈り、荷を神に委ねてみました。
すると不思議な出会いがあり、ターミナルケアの道が開かれて行きました。
今までベッド塞ぎとしか見えなかった人々が、新たに神の作品として見えてきました。
神の視点が与えられたのです。
それ以降、T医師の医療活動が更に生き生きとし、その影響が周りの医療スタッフや患者さんらに及んだことは言うまでもありません。
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神は私たちに、荷を預けよ、と叫んでおられます。
神にゆだね、心に休みを得、新たなる神の軽い荷で充実した一日を送らせていただきましょう。
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