今日のみ言葉【No.874】(2014年 7月22日)
主よ、起きてください。なぜ眠っておられるのですか。目をさましてください。われらをとこしえに捨てないでください。
(詩篇44:23)
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マレーシア航空機が撃墜されるという衝撃的ニュースが伝えられています。
ロシアとウクライナの紛争に巻き込まれて誤爆されたのは間違いないようです。
両国とは何の関係もない一般人が何百人も犠牲となりました。
イスラエルとパレスチナ間の紛争が激化し、兵士のみならず民間人も巻き添えになり、多くの人々の命が失われています。
このような現実の中、私たちはどう祈り、どのように生きる方向を定めて行ったらいいのでしょうか?
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詩篇第44篇は国家的苦難に遭った時の詩篇です。
「主よ、起きてください。なぜ眠っておられるのですか。」
(詩篇44:23)
という叫びは、なぜ国が滅び、戦で人々が殺され、補囚として異国に連れられていくのかわからないという思いから出ています。
つまり、こんな目に遭うのはおかしい、この苦しみは不当だ、という思いからの叫びです。
苦難を思いもかけない不当なものだと見ると、神に対する恨みの詩篇となります。
苦難を自分たちが神に背いた報いだと受け取ると、悔い改めの詩篇となります。
どちらも人間の自然な反応です。
旧約聖書の詩篇はそのどちらも載せています。
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しかし新約聖書では、苦難は災であるという見方から、祝福であるという見方に転じています。
「ところがわれらはあなたのためにひねもす殺されて、ほふられる羊のようにみなされました。」
(詩篇44:22)
と書いてある個所は、パウロによって以下のように引用されています。
「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。『わたしたちはあなたのために終日、死に定められており、ほふられる羊のように見られている』と書いてあるとおりである。」
(ローマ8:35-36)
詩篇の記者が絶望を味わった苦難は、パウロも同じように体験しました。
しかしパウロが違っていた点は、
「だれが、キリストの愛からわたしたちを離れさせるのか。」
と、試練によってキリストの愛がさらに浮き彫りにされるという実感でした。
「しかし、わたしたちを愛して下さったかたによって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。」
(ローマ8:37)
詩篇の記者もパウロも同じように自分の死を目の前にしました。
しかしパウロは復活の希望があるがゆえに、死を恐れることなく、苦難を通して神の祝福の連続を見る日々を過ごしたのです。
ここに旧約と新約の違いがあります。
イエス・キリストの十字架によって、信じるだけで救われる福音を味わった世界は、かくも違うものとなりうるのです。
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「どんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできない」
(ローマ8:39)
と言われる神の愛に信頼する一日を送ってまいりましょう。
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