今日のみ言葉【No.872】(2014年 7月19日)

わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。
(詩篇42:5)

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イスラエル聖地旅行で、少年ダビデが巨人ゴリアテを倒したエラの谷観光に行った時のことです。

記念に川原の小石を持って帰ろうとしたら、ここぞという場所に肝心の川が見当たりません。

日本的常識で言えば、川にはいつも水が流れているはずです。

ガイドさんに聞くと、

「これがイスラエルの川です。雨期になったからこれから雨が降って水が流れます。」

といういかにものんびりした返事。

すると雨が降って来ました。

ガイドさんは大慌てで

「バスの中に避難して下さい!」

まさかそんなことが…、と思いましたが、実は危機一髪。

30分後には濁流が流れる川をバスの窓から見てゾッとしました。

イスラエルの川は水が枯れている時と、水を満々とたたえて流れる時期とがあるのです。

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詩篇第42篇の冒頭の個所

「神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。」
(詩篇42:1)

は、喉が乾いて水を求めに来た鹿が、そこにあるはずの川がない失望を表しています。

敵の獣に遭って命を落とすかもしれない危険を犯して、ようやくふもとの川にやってきたのに、あるべきはずの水がない…。

コンビニにおにぎりがあり、駅に電車が走り、教会に愛がある…、というのが当たり前ですが、その当然あるべきはずのものがない状態に出くわしたのが詩篇第42篇の記者です。

しかしそこで彼はあきらめません。

「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。」
(詩篇42:5)

たとえ現実はそうであっても、彼は神に望みをかけるのです。

彼はどう考えても変えようのない現実の前でうなだれている自分をはっきりと客観的に認識しています。

「わが魂はわたしのうちにうなだれる」
(詩篇42:6)

しかしその上で、感情に負けず、意志的に自分に語りかけているのです。

「わが魂よ、何ゆえうなだれるのか。何ゆえわたしのうちに思いみだれるのか。神を待ち望め。わたしはなおわが助け、わが神なる主をほめたたえるであろう。」
(詩篇42:5)

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感情に打ち勝つためには、変わらない御言葉を自分に言い聞かせることが唯一の解決法です。

「わたしはあなたがたを捨てて孤児とはしない。」
(ヨハネ14:18)

「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」
(イザヤ41:10)

あなたにはあなたにピッタリ来る御言葉があるでしょう。

それを繰り返し唱え、

「大丈夫。あわてないで神様に期待するんだ。最後に神は必ず賛美へと導いて下さる。」

と自分に言い聞かせ、言い聞かせ、言い聞かせ続けるのです。

一瞬にして気分は変わらないでしょう。

しかし、この繰り返しがあなたの信仰の深みを増していくのです。

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心がグラグラする時こそ信仰が深められるチャンスの時です。

「神を待ち望め」と自分の心に語り聞かせ、信仰の成長の時とさせていただきましょう。

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