今日のみ言葉【No.868】(2014年 7月15日)

しかし、主よ、わたしはあなたを待ち望みます。わが神、主よ、あなたこそわたしに答えられるのです。
(詩篇38:15)

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詩篇第38篇は、病の中で神を求める祈りの詩篇です。

この中で「主を賛美します」という個所は一つもありません。

相当の苦しみの中で書かれた詩篇に違いありません。

10節までには当時のらい病のような症状が描かれ、11節では親族にも見放された状況が記されています。

この病は不運にもそうなったという面もありますが、自分のせいだと思い当たるところがあったようです。

「わたしの罪によって、わたしの骨には健やかなところはありません。」
(詩篇38:3)

因果応報、なるべくしてなった、とはいえ、病の苦しみからどうやって解放されるのでしょうか?

また、家族から見捨てられ、敵も自分の破滅を待って冷ややかに見つめている状況の中、心を保っていくにはどうしたらいいのでしょう?

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詩篇38篇の答は、「主を待ち望め」です。

「しかし、主よ、わたしはあなたを待ち望みます。わが神、主よ、あなたこそわたしに答えられるのです。」
(詩篇38:15)

主を待ち望む上で気をつけなければならないことは、

「何か神様のために正しいことをしてから待ち望む…」

のではないということです。

いくらかでも先に手付金を払っておかないと…、という人間的考えをすることはかえって毒です。

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神様のために何の働きもできないアブラハムでしたが、「あなたの子孫は天の星のように数多くなる」という神の言葉を信じました。

神はその信仰によって彼を義としました。

ダビデはバテシバとの関係で大罪を犯しました。

彼には神に近づいてあわれみを乞う何の功績もありませんでした。

しかし、だからといって神に近づけないわけではありません。

恵みにふさわしくない者に与えられるのが真の恵みであり、神の愛はそのような者に注がれるからです。

「ダビデもまた、行いがなくても神に義と認められた人の幸福について、次のように言っている、『不法をゆるされ、罪をおおわれた人たちは、さいわいである。罪を主に認められない人は、さいわいである』」
(ローマ4:6-8)

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神を待ち望むのは、今すぐです。

そこから先、本当に神様からの答を得るまでは長い期間がかかることでしょう。

しかし、今日、今すぐ、伏せていた目を天に向けて見上げるのです。

それが主を待ち望むことのスタート。

ここから人生の意味が変わっていきます。

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