今日のみ言葉【No.867】(2014年 7月14日)
たといその人が倒れても、全く打ち伏せられることはない、主がその手を助けささえられるからである。
(詩篇37:24)
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2014年の上半期、福島・宮城・山形の3県で警察官の自殺が相次ぎました。
いずれも上司のパワーハラスメントが原因だという報道です。
警察という組織上、上下関係がはっきりしているのでパワハラが起きやすい職場とは言えます。
たとえそうだとしても、悪を取り締まるべき組織の内部でこのようなことが起きていていいのでしょうか?
もちろん神はそれを良しとはしません。
しかし聖書は、悪がはびこり善が倒れる現実は確かにあることを教えています。
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ですから、詩篇第37篇は、
「悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。不義を行う者のゆえに、ねたみを起すな。」
(詩篇37:1)
という聖句から始まっているのです。
悪意のある人は存在し、善意も愛も踏みにじられ、利用されるだけ利用されてポイと捨てられることなど、新聞の三面記事のどこかに毎日必ず書いてあります。
しかし
「悪をなす者のゆえに、心を悩ますな。」
と神は私たちに命じます。
なぜなら、
「彼らはやがて草のように衰え、青菜のようにしおれるからである。」
(詩篇37:2)
悪はあっても、続かない。
これが聖書の宣言する真理です。
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では神の御心を行なっていれば倒れずに歩んで行けるのでしょうか?
そうでもないようです。
「人の歩みは主によって定められる。主はその行く道を喜ばれる。」
(詩篇37:23)
と神が示した道(御心)を行く人を神は喜ばれる、と語っている聖句の次の個所で、
「たといその人が倒れても」
と、まるで倒れることが既定路線であるかのような言葉が続きます。
善を行う者も倒れることがあるのです。
しかし続く聖句で
「全く打ち伏せられることはない」
と、倒れっぱなしで終わるのではないと保証しています。
「主がその手を助けささえられるからである。」
(詩篇37:24)
これが大きな違いです。
悪意のある人も倒れ、御心を行う者も倒れます。
両者とも再び立ち上がろうとします。
その時、どこにも助けの手がなく自力で這い上がるしかない人と、伸ばした手を助け支えてくれる存在がある人とでは、その後の人生に大きな違いがあるのは当然のことでしょう。
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私たちを支える手が目の前に差し出されています。
その御手にすがり、再び立ち上がる一日として参りましょう。
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