今日のみ言葉【No.850】(2014年 6月17日)

ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。
(詩篇20:7)

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サッカーW杯の試合をテレビで見ていると、ここで決めれば同点、外せば負ける、という重要な場面で、多くの日本人が祈るシーンが映し出されます。

本当に真剣に祈っています。

日本人はここまで信仰的なのかと私は驚いてしまいます。

冷静に考えれば、ボールを蹴るキッカーを信頼し、その選手を誇らなければならないはずです。

なのに、思わず手を合せ、天を仰いで祈ってしまうのは、自分ではどうしようもない時に、人間は神に助けを求めるように造られているからなのだな、と私は思わされます。

人が祈ることは自然なのです。

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詩篇第20篇は戦勝祈願のための祈りです。

「主が悩みの日にあなたに答え、」
(詩篇20:1)

の「あなた」は直接的には当時のイスラエルの王です。

祭司が国民を代表して神に向かい、

「主よ、王に勝利をおさずけください。」
(詩篇20:9)

と、執り成しの祈りをしたのです。

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王が祈られるのは、国内の弱者が守られ、国外の敵から国を守る力が与えられるためです。

油注がれて王になる者はこの責務を果たさなければなりません。

そのためのとりなしの祈りなのです。

しかし現実は往々にして違った方向に向かいます。

人は権力を握ると変わるからです。

王は自分の体制を強固にするため、軍隊と官僚からなる権力機構を作り出します。

社会は支配層と被支配層に分かれます。

つまり王側の支配者層が弱い人民を利用し貪る結果になることは、現代社会でもよく目にすることです。

そのため、イスラエルでは預言者が起こされ、王と対立しました。

祭司と預言者はこの意味で全く正反対の立場にいます。

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しかしその両者が一致するのが今日の聖句です。

「ある者は戦車を誇り、ある者は馬を誇る。しかしわれらは、われらの神、主のみ名を誇る。」
(詩篇20:7)

救いは神から来るのであって、軍事力(戦車や馬)から来るのではありません。

ですから、救い主のイエス様がエルサレムに入場した時、

「イエスは、ろばの子を見つけて、その上に乗られた。それは『シオンの娘よ、恐れるな。見よ、あなたの王がろばの子に乗っておいでになる』と書いてあるとおりであった。」
(ヨハネ12:14-15)

とあるように、あえてろばの子をお用いになられたのです。

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「われらの神、主のみ名を誇る」という一日に徹する今日として参りましょう。

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Posted by wp2016_toko