今日のみ言葉【No.807】(2014年 4月19日)
わたしは知る、わたしをあがなう者は生きておられる、後の日に彼は必ず地の上に立たれる。
(ヨブ記19:25)
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今日の聖句はキリスト教の葬儀の時によく読まれる個所です。
「わたしをあがなう者」、すなわち救い主イエス・キリストは生きておられ、続く26節で
「わたしの皮がこのように滅ぼされたのち、わたしは肉を離れて神を見るであろう。」
とある通り、肉体が滅んだ後、魂は神と出会う約束に私たちは慰めと安堵を得ます。
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旧約聖書のヨブ記ではまだキリストの救いと死者の復活の奥義は知らされていません。
ヨブがこう言ったのは、神に苦しめられ、家族から見捨てられ、友人からも
「お前が悪いからだ」
と責められているヨブが、自分のこの体験を後の世の人が知って、自分の名誉を回復してくれるだろうという希望がひらめいたからです。
「どうか、わたしの言葉が、書きとめられるように。どうか、わたしの言葉が、書物にしるされるように。」
(ヨブ記19:23)
それは
「鉄の筆と鉛とをもって、ながく岩に刻みつけられるように。」
(ヨブ記19:24)
とあるように、ヨブの執念とまで言えるようなものです。
このようなヨブの出来事の中に、キリストによる罪の贖いと死後の復活の希望が予表されているのです。
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「メメント・モリ」
というラテン語があります。
「死を忘れるな」
という意味です。
これをもって
「だから今を楽しんで生きろ」
と刹那的快楽を追求する生き方を正当化することもできます。
しかし昔のキリスト教の修道院では、この
「メメント・モリ(死を忘れるな)」
が挨拶だったそうです。
私たち人間は誰でも肉体の死を通ります。
しかしその先に
「わたしをあがなう者」
がおられるのです。
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贖い主イエス・キリストを信じ、死を忘れないと共に、復活の希望も忘れずに生きて参りましょう。
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