今日のみ言葉【No.3686】(2025年 7月18日)「パリサイ人と取税人のたとえ話(4)」

ベースキャンプへの山道より望むエベレスト北壁。I, Luca Galuzzi, CC 表示-継承 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1810976による

あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。
(ルカ18:14)

——————

まじめな質問です。

「世界で一番高い場所にあるゴミ箱はどこだと思いますか?」

どこの高層ビルかと思いきや、正解は、

「エベレスト山のキャンプ4(約8,000m)付近に設置されたゴミ回収施設」

です。

地球上で最も高く、最も壮大な自然の象徴であるエベレスト。

しかし、実際の姿は、登山家たちが残した大量のゴミにまみれているのです。

これには、「ええっ!」という驚きの声が上がってもおかしくありません。

しかし、それが事実であり、正しい現実です。

同じように、今日の聖句が言われた段階で、聴衆からは「ええっ!」というどよめきが起こったはずです。

なぜなら、人々は、パリサイ人の祈りは非の打ち所のない祈りで、取税人の祈りは不合格の祈りと考えて疑わなかったからです。

ところが、神の基準は、人々の価値観とはまったく異なっていたのです。

-*-*-*-*-*-*-

パリサイ人は、自分を義人だと自任している人でした。

彼は罪の意識がない罪人であり、自分は常に正しいと思っている人です。

ですから、この話のパリサイ人の祈りは神に届いておらず、単なる独り言で終わっています。

さて、それとは反対に、取税人の祈りが神の基準に沿った祈りであるとされています。

取税人は、

「自分は罪人であり、神の前で誇れるものは何もない」

と正確に自分のことを認識し、それを言葉にして祈っています。

これこそが、神の目に正しいとされ、義と認められる祈りなのです。

-*-*-*-*-*-*-

パリサイ人は、施しや断食という良い行いを積み重ねることによって、

「わたしは神の前に出られる正しい人間である」

と主張します。

しかし、それは人の誇りにすぎません。

行いによって自分は義とされる、と考えていることが彼の重大な誤りだったのです。

一方、取税人は、

「自分は誇れるものは何も無い」

と訴えています。

そして、

「罪人のわたしをおゆるしください」
(ルカ18:13)

とだけ言っています。

これが神に認められる祈りなのです。

-*-*-*-*-*-*-

神の基準を知る今日として参りましょう。

-*-*-*-*-*-*-
-*-*-*-*-*-*-

□ ^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^ □
■メールマガジン「今日のみ言葉」
■発行責任者:山形ジョイフルチャーチ 丸山芳浩

■過去の御言葉メールのすべては、以下のリンクからお読みいただけます。
mikotoba.org

■ご意見ご感想は、 maruyama@mikotoba.org までどうぞ

■YouTube 丸山芳浩師 メッセージチャンネル
www.youtube.com/@joymaru

■御言葉メールのお申し込みをご希望の方は、メールの題名に「登録希望」と明記の上、
maruyama@mikotoba.org
まで送信してください。

■御言葉メールの配信停止をご希望の方は、メールの題名に「配信停止」と明記の上、
maruyama@mikotoba.org
まで送信してください。