今日のみ言葉【No.3686】(2025年 7月18日)「パリサイ人と取税人のたとえ話(4)」

あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。
(ルカ18:14)
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まじめな質問です。
「世界で一番高い場所にあるゴミ箱はどこだと思いますか?」
どこの高層ビルかと思いきや、正解は、
「エベレスト山のキャンプ4(約8,000m)付近に設置されたゴミ回収施設」
です。
地球上で最も高く、最も壮大な自然の象徴であるエベレスト。
しかし、実際の姿は、登山家たちが残した大量のゴミにまみれているのです。
これには、「ええっ!」という驚きの声が上がってもおかしくありません。
しかし、それが事実であり、正しい現実です。
同じように、今日の聖句が言われた段階で、聴衆からは「ええっ!」というどよめきが起こったはずです。
なぜなら、人々は、パリサイ人の祈りは非の打ち所のない祈りで、取税人の祈りは不合格の祈りと考えて疑わなかったからです。
ところが、神の基準は、人々の価値観とはまったく異なっていたのです。
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パリサイ人は、自分を義人だと自任している人でした。
彼は罪の意識がない罪人であり、自分は常に正しいと思っている人です。
ですから、この話のパリサイ人の祈りは神に届いておらず、単なる独り言で終わっています。
さて、それとは反対に、取税人の祈りが神の基準に沿った祈りであるとされています。
取税人は、
「自分は罪人であり、神の前で誇れるものは何もない」
と正確に自分のことを認識し、それを言葉にして祈っています。
これこそが、神の目に正しいとされ、義と認められる祈りなのです。
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パリサイ人は、施しや断食という良い行いを積み重ねることによって、
「わたしは神の前に出られる正しい人間である」
と主張します。
しかし、それは人の誇りにすぎません。
行いによって自分は義とされる、と考えていることが彼の重大な誤りだったのです。
一方、取税人は、
「自分は誇れるものは何も無い」
と訴えています。
そして、
「罪人のわたしをおゆるしください」
(ルカ18:13)
とだけ言っています。
これが神に認められる祈りなのです。
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神の基準を知る今日として参りましょう。
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