今日のみ言葉【No.700】(2013年11月19日)

こうしてサウルは主にむかって犯した罪のために死んだ。
(歴代志上10:13)

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あれっ!今日で通算700号になっていました。

そうすると来年の今頃は1000号に到達しているのでしょうか?

全ては主の導きの中で起こることを思わされます。

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700回の中で取り上げた聖書の言葉が全て前向き肯定的かというとそうではありません。

今日の聖句などは人の闇の部分を語っている代表的個所です。

「こうしてサウルは主にむかって犯した罪のために死んだ。」
(歴代志上10:13)

サウルに向けられた同じ基準が自分に向けられたら、恐ろしくて生きた心地がしないでしょう。

自分は神の基準を守っているか、正しいことをしているか、このことは律法に外れていないか、と、毎日、神経質にチェックしなければならないからです。

そこには平安などあろうはずがありません。

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しかし、闇が濃ければ光はさらに眩しいのです。

サウルの罪に対して向けられた神の怒りが全て注ぎ込まれたのが十字架です。

私たち人間が犯した罪の支払いが、2000年前のキリストの十字架で全て支払われ、そのことを信じる者には死は意味を持たなくなったのです。

この光の中を歩ませていただく人生こそ平安に満ちた人生なのです。

光のまぶしさを味わうために、神はあえて人生の闇の時を備え、そこを人に通らせられるのかも知れません。

全て私たちの周りで起こっていることは、神の愛ゆえに起きていることです。

闇も神が備えたもう十字架の恵みにたどり着くための手段であることに目を開いて参りましょう。

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三浦綾子作『続氷点』のテーマは「許し」です。

この小説の中に三井弥吉という人物が出てきます。

彼は太平洋戦争で中国に出征し、その間、彼の妻は他の男との間に不義の子を産みます。

終戦後復員した弥吉は、妻の不倫を知りながら、20年もの間気づかぬふりをして家族と共に生活します。

なぜ妻を許し得たのか?

実は彼は戦時中の上官の命令とはいえ、多くの人を殺害し、その中に妊婦がいたのです。

三浦綾子さんは弥吉が書いた手紙というスタイルで彼にこのように述べさせています。

「辻口様、その事実を知った時の私の気持ちは、恐らくおわかりになりますまい。私は何とも形容しがたい感謝の思いに満たされたのです。」

「私は戦場において、罪のない妊婦の腹をかき裂きました。ところが、妻はたとえ他の男との子供にせよ、一つの命をこの世に送り出してくれていたのです。」

「妻が堕胎もせず、ひそかに一人の命を産んでいた事実に、私はどんなに大きな慰めを感じたことか…」

三井弥吉という小説の中の架空の人物でありながら、非常なリアリティーをもって私たちに迫ってくる個所です。

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三浦綾子さんは、弥吉が妻を許すことができたのは、自分がいかに罪深いかを身に沁みてわかっていたからではないか、と書いておられます。

自分が正しいと思う人は、相手の罪にこだわり、いつまでたっても許せません。

しかし弥吉が妻の秘密を知りながら、全く知らぬふりをして20年を過ごし、しかも新しい愛を注ぐまでに生きられたのは、自分の罪深さを知っていたからなのではないでしょうか。

本当に自分が悪かったと思う時、人間は思いもかけぬ平安を味わうのです。

それが心の中の取引ではなく、神の子イエス・キリストが正々堂々と、1円の欠けもなく罪の負債を支払って下さったのならなおさらです。

今日こそ、この大きな平安を味わう日です。

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