今日のみ言葉【No.710】(2013年11月30日)
しかしダビデはエルサレムにとどまった。
(歴代志上20:1)
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亡くなった名優、緒形拳さんが映画の中で、
「人も煙草も、煙になってみねえとわからねえ」
とつぶやきながら煙管(きせる)を吸うシーンがありました。
妙に心に残りました。
私はその時こう思ったからです。
「うまいこと言うなあ。タバコの味は見ただけではわからない。煙になって吸ってみてからわかる。人も今生きている間の出来事だけでは判断できない。死んで火葬場の煙になった時、初めてそこで評価が出来る。」
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歴代志には、列王紀にあるダビデとバテシバの出来事は記されていません。
ただ
「しかしダビデはエルサレムにとどまった。」
という記述があるのみです。
これは同じ歴史書でも編集の目的が違うからです。
歴代志は神の宮である神殿建築に重きを置いて編纂されています。
ですから、神殿建築に深く関わったダビデの業績を取り上げ、彼の罪の部分は取り上げていないのです。
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確かにダビデには罪の部分がありました。
預言者ナタンの指摘がなければ、おそらく一生そのままだったでしょう。
しかしダビデはナタンから罪を示された直後に、自分の罪を悔い改めました。
その心からゆるしを求める心境は、詩篇51篇に記されています。
「神よ、あなたのいつくしみによって、わたしをあわれみ、あなたの豊かなあわれみによって、わたしのもろもろのとがをぬぐい去ってください。」
(詩篇51:1)
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他人の人生を、
「ああ、あの人はもう終わりだ」
などと軽々しく判断してはならないのです。
まして自分自身に対して、
「私はもう終わりだ…」
などと言ってはならないのです。
いつでも赦しと希望と新しい道を用意して待っておられる神がいらっしゃるからです。
あなたが本当に煙になる時まで、常に神のチャンスがあることを覚えましょう。
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