今日のみ言葉【No.640】(2013年 9月 4日)
ダビデは主がもろもろの敵の手とサウルの手から、自分を救い出された日に、この歌の言葉を主に向かって述べ、
(サムエル記下22:1)
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私は「お祭り」が苦手です。
あの非日常的空間と時間が、私の内に目のくらむような不安をもたらすのでイヤなのです。
私はむしろ、朝昼晩何事もなく過ぎ、朝はご飯を食べたから昼は麺にしようか、夕食は何を食べようかと考え、夜疲れた体を床に横たえて寝る…、という生活が一番安心できて良いと思っています。
さて、ダビデはどうだったのでしょう?
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サムエル記下22章はダビデの歌です。
21章からダビデの老化の記述が始まり、以降、晩年の出来事が記されてくるようになります。
ダビデが波瀾万丈の人生を振り返った時、それは歌となりました。
神への賛美です。
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ダビデは一介の羊飼でいたら、きっと穏やかな人生をそれなりに送ったことでしょう。
しかし彼は神に選ばれ、イスラエルの王となりました。
それは決して安穏な生活ではなく、サウルに妬まれ命をつけねらわれ、我が息子アブサロムからも追われ、苦しみと悲しみに満ちた生涯でした。
しかしその労多き人生を振り返った時に出てくるのは、恨み言ではなく、賛美でした。
神が私をあの苦難から救い出して下さった…。
ダビデの賛美はこの一点に尽きます。
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私たちの人生の目標がここにあります。
クリスチャンの模範解答として賛美をするのではなく、
「苦しみを通しての喜び」
を体験するのです。
無理矢理ここに到達するのではありません。
毎日の積み重ねの中で練り鍛えられ、試練の火で精錬されてポロリと出てくるものなのです。
きっと賛美の人生となる。
そのことを先取りし、今日既に賛美にあふれた人生を歩んでいたいものです。
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神に選ばれた人の人生は、苦難を避けることが出来ません。
しかし、苦難を通して喜びに至る人生であり、周囲の人に賛美をまき散らしながら天に凱旋する人生でもあります。
天を仰ぎ見て今日も生きて参りましょう。
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