今日のみ言葉【No.629】(2013年 8月 8日)
しかしダビデがしたこの事は主を怒らせた。
(サムエル記下11:27)
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ディベートという議論の仕方のセミナーに出たある社員が、早速会社で上司に試してみました。
さすがにセミナーで学んできた甲斐があり、上司の矛盾点をつき、自分の正当性を見事に証明できました。
彼は議論に勝ったのです。
しかし上司の口から出た言葉は、
「おまえが出す書類には二度とハンコは押してやらん!」
というものでした。
彼は、
「ディベートが通用するのはディベートのセミナー会場だけだ…」
とつぶやき、
「正しい者が必ずしも勝つのではなく、力が上の者が勝つのだ」
という教訓を得て、理不尽な上司の言う通りにせざるを得ませんでした。
このような事例が数多くある世界に生きているのが私たちの現実です。
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サムエル記下11章は有名なダビデとバテシバとの事件の章です。
ぜひご自分でお読み下さい。全然難しくありません。テレビのワイドショーで見るような男と女の出来事です。
大事なことは、その最後にある
「しかしダビデがしたこの事は主を怒らせた。」
という一句です。
ダビデは自分の欲望を達成し、自分が不利になることを王の権力によってことごとく覆い隠し、成功しました。
しかし神の目だけはごまかせません。
神は決して罪を見過ごしにならず、お怒りになるお方であり、犯した罪に対して決着をつけずにはおれないお方なのです。
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旧約の神と新約の神は全く同一です。
新約の時代の今となって、神はだんだんやさしくなり、人間の罪を大目に見て下さるようになった…、などということはありません。
今も神はダビデに対して見ているのと同じ目で人間を見ておられます。
神のこの目と怒りから人が逃れられるのは、イエス・キリストが身代わりとなって十字架にかかり、人の罪をすべて負って下さったからです。
本来は自分に下されるべき罪の報いを、代わりにキリストが真っ正面から受け止め、命を捨てて私たちのために死んで下さったので、神の怒りは消えたのです。
これを信じて新しい人生を生き始めるのがクリスチャンです。
「ダビデと私は同じだ」
と思えるかどうか。
そこが十字架の恵みを真の恵みとして受け取れるかどうかの分岐点となります。
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よくテレビのCMで耳にする曲、「アメイジング・グレース」。
これは18世紀にジョン・ニュートンという人が作った讃美歌です。
日本語の歌詞では、
驚くばかりの
恵みなりき
この身の汚れを
知れる我に
とあります。
彼は奴隷船の船長だったのです。
アフリカの黒人を大量に拉致し、アメリカで人身売買をして利益を上げていたのです。
彼の回心は、船の遭難にあった時です。
クリスチャンの母の祈りを真似て、生まれて初めて必死に祈りました。
不思議に船は守られ、そこで彼は自分に対する神の恵みに気づいたのです。
奴隷船の船長をしている自分の命が救われた。
何という恵みか。
この体験から彼の人生は180度変わり、キリストを救い主と信じる人生となったのです。
そこから生まれた讃美歌が、アメイジング・グレースなのです。
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罪に気づくことが恵みの始まりです。
十字架のゆるしと恵みを存分に受ける一日として参りましょう。
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