今日のみ言葉【No.622】(2013年 7月31日)

わたしの命を、もろもろの苦難から救われた主は生きておられる。
(サムエル記下4:9)

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「アトムは女性なんです。」

とアトム生みの親、手塚治虫氏が対談で明かされたことがありました。

発表が少年雑誌だったので、「鉄腕」が付けられ、「7つの威力」や「十万馬力」を持った強力スーパーロボットを描く羽目になったのだそうです。

手塚氏が本当に描きたかったのは、差別され、虐げられ、孤独を味わう悲劇のロボットだったというのですから驚きです。

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サウル王の息子イシボセテを討ち、その首をダビデの下に持って行ったレカブとその兄弟バアナも驚いたに違いありません。

彼らは自分たちがしたことをダビデは喜び、

「大手柄だ!」

と喜ぶはずだと思っていたのです。

なぜなら、イシボセテはダビデの命を狙っていたサウル王の子ですから、敵方です。

その敵をやっつけたのですから、ほめてもらえると思うのも当然です。

しかしダビデは彼らに対し怒りを発し、部下に命じて二人を処刑してしまいました。

その理由は、いくら敵であっても、サウルは「神が油注がれた者」であり、イシボセテはその子であったからです。

ダビデにとって、自分の命よりも、神の選びの方が大事だったのです。

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もう一つの理由は、レカブとバアナの存在を許せば、神に頼ることよりも人に頼る方にダビデは傾いてしまうからです。

彼は神のみに頼ろうとしました。

それが、今日の聖句、

「わたしの命を、もろもろの苦難から救われた主は生きておられる。」

という宣言に現れています。

ダビデにとってイシボセテの死は実は大助かりなのです。

しかし、今回は神の御心とは全く無関係に、人間の欲得、打算、保身の結果として強引になされた結果でした。

ダビデは主のみに助けを求める姿勢を崩さず、レカブとバアナを断罪したのです。

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あなたはこのお話から何を得ますか?

人の助けは全て拒否せよ、ということでもなさそうです。

一番のポイントは、神により頼むことを最優先にする、ということではないでしょうか?

神により頼むことを第1番とし、その結果として様々な人にお頼みすることは自然なことです。

しかし、神を抜きにして人に頼り、それで成功してしまったら大変なことになります。

なぜなら、その人抜きでは自分の状態を保てなくなるからです。

そうすると、その人の顔色をうかがうようになります。

その人がニコニコしていれば自分はホッとし、その人が怒っていれば自分は不安になり、その人が自分を捨てないだろうかと絶えず心配する日々が始まるのです。

「人を恐れると、わなに陥る、主に信頼する者は安らかである。」
(箴言29:25)

神に頼って人に頼らず、とはこのことを言います。

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「わたしの命を、もろもろの苦難から救われた主は生きておられる」という宣言を私たちもして参りましょう。