今日のみ言葉【No.570】(2013年 5月17日)
それはギデオンとその家にとって、わなとなった。
(士師記8:27)
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義理チョコというものがあります。
バレンタインデイに、
「あなたは本命の人ではありませんから誤解しないでね。でも普段お世話になっているので差し上げます。」
という意味で女性から贈られるチョコのことです。
「義理ですよ」と堂々と表明しているチョコですが、もらえるとそれなりに嬉しいものです。
こちら側を慮って下さる相手の心を感じるからでしょう。
一方、贈る側の都合に合わせた記念品があります。
金ピカで何十年保存しても変わらない物なのですが、あまり有り難みを感じません。
「義理とノルマで作りました」と感じるからなのでしょう。
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ギデオンはミデアン人との戦いに勝利した記念として、彼らから金の耳輪を集め、エポデという記念の物を作りました。
これが
「ギデオンとその家にとって、わなとなった」
となってしまいました。
「イスラエルは皆それを慕って姦淫をおこなった。」
とありますから、そのエポデをさわったり拝んだりすれば勝利が得られる、というような崇拝の対象になったのでしょう。
本当は勝利をもたらした神を礼拝すべきでした。
しかし神は人の目には見えないので、目に見える記念物や神の姿を表したとされる偶像の方に人の心は傾きやすいのです。
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ギデオンは生き方を残すべきだったのです。
イスラエルの人々がギデオンに王になってくれと頼んだ時、彼はそれを断りました。
勝利を収めた原因は神だということを彼は知っていたからです。
「わたしはあなたがたを治めることはいたしません。またわたしの子もあなたがたを治めてはなりません。主があなたがたを治められます」
(士師記8:23)
毎日、従順に神に従う、という生き方をし続け、周囲にそれを示していけば良かったのでしょう。
エポデという金でできた記念物がどんなに素晴らしく見えようと、それに命はありません。
命あるのは、その命によって生かされている人間そのものです。
生き方を伝えることが命を伝えることとなるのです。
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田中信生牧師のお父様の田中美男(たなかよしお)先生は、毎朝の早天祈祷会でメッセージをして下さっていました。
教会の若いスタッフの訓練のため、これを使命として下さったのです。
ところが、私を始めとする神学生はちょいちょい寝坊をし、先生を迎えに行く担当者が遅刻することがありました。
当然のことながら叱られました。
烈火のごとく叱られました。
しかしそのことによって、我々を一人前の伝道者としようとなさっておられるのだという真剣さが伝わったことも事実です。
美男先生が天に召された時、そこに残されたものは、聖書とメガネと腕時計、その3つだけでした。
しかし、先生の神に対する熱烈な生き方は私たちの心に深く刻まれ、永遠に残るものとなっています。
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生き方を残しましょう。
それが何にも勝るあなたの遺産として受け継がれていきます。
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