今日のみ言葉【No.3104】(2023年 6月14日)「エサウの罪(2)」
エサウは言った、「よくもヤコブと名づけたものだ。彼は二度までもわたしをおしのけた。さきには、わたしの長子の特権を奪い、こんどはわたしの祝福を奪った」。
(創世記27:36)
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「日本は、義理チョコをやめよう」
という新聞の一面広告を出したチョコメーカーがあります。
ゴディバ(GODIVA)です。
なるほど、本命チョコの代表たるゴディバを買って下さいという思惑が透けて見えます。
これに対して、義理チョコの代表たるブラックサンダーを販売する有楽製菓は、
「よそはよそ、うちはうち、みんなちがって、みんないい、ということで有楽製菓は引き続き『日頃の感謝を伝えるきっかけ』として義理チョコ文化を応援いたします」
(『なんで、その価格で売れちゃうの?』、永井孝尚著、PHP新書、P241)
というメッセージを出しました。
両社とも自社の利益を第一に考えているのは当然のことです。
自己愛が健全なうちはいいのですが、それがねじれた状態に発展してしまったのがエサウでした。
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ヤコブに祝福が相続されたと明らかになったとき、イサクはエサウにこう説明しました。
「あなたの弟が偽ってやってきて、あなたの祝福を奪ってしまった」
(創世記27:35)
前半は真実ですが、後半はイサクが自分の思い込みを正当化するために言った誤りです。
罪の性質を持つ人間は自分を中心として考えるので、そのように見えるのです。
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エサウはこう考えました。
「よくもヤコブと名づけたものだ。彼は二度までもわたしをおしのけた。さきには、わたしの長子の特権を奪い、こんどはわたしの祝福を奪った」
(創世記27:36)
ここにはヘブル語の言葉遊びがあります。
ヤコブはエサウの「かかと」(ヘブル語でアカブ)をつかんで生まれてきたことから、ヤコブと名づけられました。
この「アカブ」が動詞になると「アーカブ」となり、「引っ張る」という意味になります。
新共同訳聖書では、この箇所をわかりやすく
「これで二度も、わたしの足を引っ張り(アーカブ)欺いた」
と訳しています。
さて、後半の、
「わたしの長子の特権を奪い、こんどはわたしの祝福を奪った」
(創世記27:36)
というのはエサウの誤解ですが、彼から見るとそう見えるのです。
エサウは一杯のあつもので長子の特権を売り渡したわけですから、たとえヤコブに「奪いたい」という思いがあった上での行動だとしても、法律上は契約が成立し、奪ったことにはなりません。
また、エサウは、
「こんどはわたしの祝福を奪った」
と言っています。
彼は自分は祝福を受け継ぐ者だと考えていますが、それはエサウが自分の都合の良いように考えた願望であり、思い込みです。
生まれる前から神はヤコブに祝福を与えると定めているので、これも彼の誤りです。
繰り返しますが、罪の性質を持つ人間は自分を中心として考えるので、そのように見えるのです。
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自分が正しいと思う人間は、自分が考える正義を通そうとします。
すると、相手が悪なのですから、悪を滅ぼさなければ自分の正義が通りません。
エサウの怒りはエスカレートし、ヤコブを殺そうと決心します。
彼の自己中心の罪は破滅へと導いているかのようです。
この後、どうなるのでしょう?
以下、次回に続きます。
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自分の目から見て正しいと思えることでも、神の光に照らされるとき、その誤りが見えてくるときがあります。
自分からのみの一方通行的視点でなく、360度の視点を持つ神の目から事態を見る今日として参りましょう。
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