今日のみ言葉【No.3086】(2023年 5月24日)「リベカの罪(2)」
あなたはそれを持って行って父に食べさせなさい。父は死ぬ前にあなたを祝福するでしょう」。
(創世記27:10)
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金メダリストを多数輩出したメンタルコーチの鈴木颯人氏に、
「ギリギリまでやる気が出ず、ついつい後回しにしてしまう人はどう改善したらいいでしょうか?」
という質問が寄せられました。
さすが一流コーチの言葉は違います。
答は、
「気が向かない時は、思い切って休みましょう」
です。
思わず、
「えっ、それまでサボっていても、休んでいてもいんですか?」
と言ってしまいそうですが、鈴木コーチの言葉はこうです。
「たとえば、仕事の締め切りが明日に迫っているのにどうしてもやる気が出ない。そんな時は、カフェに行ってのんびりしましょう。コーヒーを飲み終わる頃には、『そろそろやらないと…』と、焦る気持ちと一緒にやる気も湧き出てくるはずです」
確かにこのようにやると、ダラダラとやって時間を無意味に費やしてしまったという後悔に悩むことはなく、逆に健全な意味での焦りとやる気が出てきます。
リベカの焦りはそのようなプラスの意味での焦りではなく、暴走を生み出す焦りでした。
事態は緊急と思えたので、彼女は一気に走り出してしまったのです。
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イサクがエサウを呼んで、
「わたしは死ぬ前にあなたを祝福しよう」
(創世記27:4)
と言うのを聞いたリベカはあわてました。
なぜあわてたのでしょう?
「このままではエサウが祝福を全部受け継ぎ、愛するヤコブには何も残らない。それは可哀想だ。私も心が痛む」
というふうに思ったからだと考えられます。
しかし、冷静に考えてみれば、彼女は双子を身ごもっている時に
「兄は弟に仕えるであろう」
(創世記25:23)
との主の言葉を聞いていました。
ですから、何があっても安心して神に委ね、お任せして、ドシンと座っていれば良かったのです。
しかし、彼女は焦りました。
神の言葉に信頼する心がリベカの中では薄れていたのです。
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事態は緊急を要しています。
エサウが鹿を獲って帰ってきて、イサクに料理を食べさせれば終わりです。
ぐずぐず手をこまねいていては、ヤコブに来るはずの祝福がなくなってしまいます。
神の支えも助けも当てにならない思えば、頼れるのは自分の力のみです。
そうなれば、自分のできるところ、それも得意分野で勝負するしかありません。
リベカの策略はこうです。
「群れの所へ行って、そこからやぎの子の良いのを二頭わたしの所に取ってきなさい。わたしはそれで父のために、父の好きなおいしい食べ物を作りましょう」
(創世記27:9)
急遽、鹿肉味に似せた料理を作って、それをエサウが戻ってくる前にイサクに食べさせるという作戦です。
しかし、これはイサクに対する欺きであり、明確な罪です。
それでもリベカはヤコブに
「あなたはそれを持って行って父に食べさせなさい。父は死ぬ前にあなたを祝福するでしょう」
(創世記27:10)
と言って強制します。
全ては愛する息子ヤコブのため。
誰に祝福を授けるかは神が決める領分であるにもかかわらず、リベカはその神の場所に自分を置いていました。
この子に祝福を授けようと、神の立つべき位置に自分を置いたことも気づかずにいた傲慢なリベカは、愛に深入りしすぎて暴走していたのです。
言われたヤコブはどうするのでしょう?
母親の誤りを指摘するのか、あるいは、盲目的に従うのか。
以下、次回に続きます。
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リベカの例を通して、正しく愛するとはどういうことかを思い巡らして参りましょう。
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