今日のみ言葉【No.2964】(2022年12月 3日)「イサク奉献(5)」
彼らが神の示された場所にきたとき、アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた。
(創世記22:9)
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誰でも初めて車の運転をする時は、
「ここはブレーキを踏んで減速。ウィンカーを出して、左右確認して、アクセルを踏んで…」
と、いちいち手順を意識しながら、ガチガチでハンドルを握っています。
しかし慣れてくると、ほとんど考えることなくオートマチックに一切のことをしています。
アブラハムが我が子イサクを捧げることにおいても、過去何千回もやってきたのと同じ手順で進めました。
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いよいよ、アブラハムとイサクの二人だけで、「神の示された場所」に到達しました。
アブラハムはそこで何をしたでしょう?
いつものことを、いつものように、淡々と行ったのです。
「アブラハムはそこに祭壇を築き、たきぎを並べ、その子イサクを縛って祭壇のたきぎの上に載せた」
(創世記22:9)
「その子イサク」というところが、今までは羊であったり、やぎであったりしただけで、それ以外は通常と全く変わりありません。
このように、いつものことを、いつものように、忠実に、淡々と行うことは、いざ大きなことに従う時、極めて有効な助けとなります。
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この箇所で、イサクは自分の命が取られるとわかっているのに、一切の抵抗を見せていません。
これは驚くべきことです。
彼が「私の父は、私に悪いことをしない」と信頼し切っていたからとしか考えようがありません。
アブラハムも、自分のために最善しかなさらない神を100%信頼し、イサクを祭壇の上に載せました。
舞台は整いました。
神、アブラハム、イサクの間は信頼で結ばれています。
しかし、最後の瞬間、アブラハムは迷わなかったのでしょうか?
以下、次回に続きます。
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いつものことを、いつものように、忠実に、淡々と行う今日としてまいりましょう。
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