今日のみ言葉【No.464】(2012年12月11日)
あなたの見た獣は、昔はいたが、今はおらず、そして、やがて底知れぬ所から上ってきて、ついには滅びに至るものである。
(黙示録17:8)
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「全ての道はローマに通ず」という諺が残るくらい、ローマ帝国はその全盛を誇りました。
ヨハネの黙示録はそのローマ全盛時に書かれましたが、
「昔はいたが、今はおらず」
と、その終わりを預言しました。
確かに、今、私たちはローマにその姿を求めに行っても、残された廃墟を観光するだけとなっています。
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「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者」
(黙示録1:8)
が全能の神です。
しかし、私たちはしばしば、この神を
「昔はいたが、今はおらず」
と思いがちです。
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弟子たちの姿でそれが分かります。
イエス様が十字架で死なれたとき、今まであれほどの奇跡を見てきた彼らですら、もう終わりだ、と思ってしまったのです。
エマオという村へ行く途中、二人の弟子の前に復活のイエス様が現れたときも、彼らにはその方がイエス様だとは分かりませんでした。
聖書はそれを、
「しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。」
(ルカ24:16)
と書いています。
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私たちにはそのような時があるのです。
頭の中に、
「今いまし、昔いまし、やがてきたるべき者」
と知識としてはあっても、
「昔はいたが、今はおらず」
という現実の感覚の方が強く、目がさえぎられて神が見えない期間があるのです。
しかし、そのような私たちに対して、
「イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。」
(ルカ24:15)
と、イエス様ご自身が私たちと共におられることを忘れてはなりません。
人間の「終わり」は、神の「始まり」であることを心にとめましょう。
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終わりは始まり、と心に言い聞かせ、今日の一日を始めて参りましょう。
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