今日のみ言葉【No.2885】(2022年 8月27日)「サライとハガル(3)」
わたしが受けた害はあなたの責任です。
(創世記16:5)
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キリスト教ジョークです。
天国には門があり、その先にいくつもの門が分かれてあるそうです。
まず男と女に分かれ、既婚者と独身者に、そして夫であった者には、
「妻の尻に敷かれた者」
と
「妻の尻に敷かれなかった者」
のどちらかの門を入るように指示されていました。
「妻の尻に敷かれた者」の門の前には長蛇の列ができ、担当の天使ミカエルは汗みずくで働いています。
ところが、「妻の尻に敷かれなかった者」の門の前には誰も並びません。
担当の天使ガブリエルがあくびをしていると、ようやく一人の男がやってきました。
天使は大喜びで迎え、
「あなたは地上の結婚生活で亭主関白を通して生きられたのですね」
と言うと、その男は申し訳なさそうにこう言いました。
「妻に、こっちの門へ行けと言われたものですから…」
さて、想像するに、アブラムはどちらだったでしょう?
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今日の聖書箇所は、サライが夫アブラムに言った言葉です。
サライは責任逃れをしているように見えます。
なぜなら、ハガルがアブラムのそばめになることは彼女からの提案だったからです。
ここでのポイントは、アブラムが彼女の意見を聞き入れたということです。
「アブラムはサライの言葉を聞きいれた」
(創世記16:2)
つまり、アブラムは自分の意志でサライの言葉を受け入れたので、最終責任は彼にあるということです。
ですから、アブラムは、俗に言う「奥さんの尻に敷かれた亭主」ではありません。
それは、6節以降、アブラムはサライに命じ、彼女は夫の指示を待って行動に移していることからわかります。
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そうは言っても、やはり
「アブラムはサライの言葉を聞きいれた」
(創世記16:2)
という決断は、満点の答案ではなく、エデンの園でアダムがエバの言うことを聞いたのと同じ過ちを繰り返したと言えます。
アダムは妻エバの言うことによって最終決断をするべきではなく、神の言葉を聞いて判断し、決断しなければなりませんでした。
アブラムも同じです。
この段階までに明らかにされていたことは、アブラムの子が生まれることであって、それが妻サライとの間に生まれる子であるとはまだ明確に啓示されていませんでした。
しかし、妻としてのサライがいるのですから、素直に考えれば夫婦の間に子が生まれることが自然です。
そばめとの間の子、という考えが入ってきたことは、アブラムとサライの不信仰を表します。
二人は信仰によって人生を始め、カルデヤのウルを出たのですから、仕上げまで信仰に徹しなければなりません。
しかし、信仰がぐらつき、人間のわざに頼ろうとして、彼らは道から逸れ、次々とトラブルに遭うようになっていたのです。
サライはハガルをいじめだし、ハガルは身重の体で行くあてもなく逃げ出して行かざるを得なくなりました。
まるで地獄のようなひどい展開です。
この人間の失敗に対して、神はどのような救出をなさるのでしょうか?
以下、次回に続きます。
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神の約束の実現を信じ、その道を歩んでいるかどうか確認する今日として参りましょう。
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