今日のみ言葉【No.425】(2012年10月16日)
「主は愛する者を訓練し、受けいれるすべての子を、むち打たれるのである」
(ヘブル12:6)
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今日の聖句に関して、榎本保郎牧師著『新約聖書一日一章』から引用します。
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イエスが、ぶどうの木と枝の譬えで、「実を結ばぬ枝は、これを取り除く」と言われた。
これは剪定ということである。よい果実を作るためには必須のことである。
摘果、それは一つのものを大きく育てていくためにむだなものは除いていくのである。
私たちの中にむだなものがある。私たちは、これを惜しみたがるから自分で切り捨てることはできない。
けれども、これを御言葉で切っていくのである。
私に基準をおくと、あれもこれもと混乱してわからなくなる。神に基準をおくとき、はじめてむだなものがわかってくる。
御言葉によって記憶されている神の基準で、私たちの内部、生活のむだ、必要を、峻別していかなければならないと思う。
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箴言17章3節に
「銀を試みるものはるつぼ、金を試みるものは炉、人の心を試みるものは主である。」
とある。
鉱石はどんなりっぱなものでも不純であり、ほとんど不用なものがある。
それが炉に投げ込まれ、どろどろになって、はじめて必要なもの、不必要なものが分けられるのである。
だから苦しみにあっても、必ずこれには神のすばらしい計画のあることを忘れてはならない。
それを見のがしたら元も子もなくなり、苦しいことだけ残ってしまうのである。
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愛ゆえに訓練される神を見上げて参りましょう。
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