今日のみ言葉【No.408】(2012年 9月26日)

しかし、このことは知っておかねばならない。終りの時には、苦難の時代が来る。
(第2テモテ3:1)

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今日の聖句を読むと、クリスチャンとして生きることが大変恐いことのように思えてきます。

しかしこれは12節に

「キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。」

とあるように、キリストを信じる方向に進めば進むほど、周りの価値観とぶつかる事態が生じることを意味します。

神の御心に沿ったきよい生き方をしようとすれば、それを賞賛してくれる人もいますが、妨害する人も出てくるのが世の中のありのままの姿です。

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外からの迫害もありますが、私たちの内側にも問題があります。

喜びなら歓迎しますが、苦しみからは逃げ出したい心です。

キリストの弟子たちの姿にそれが現れています。

ゲッセマネの園で血のような汗をしたたらせて祈るイエス様を尻目に、弟子たちは眠っていました。

十字架につけられるために捕らえられた時、彼らはイエス様を捨てて逃げ去ってしまいました。

頭では「たとえ死んでもあなたについて行く」と考えていたペテロでさえそうなのですから、

「ピンチはチャンス!」
「クレームは宝の山!」

という積極思考で頭の中を満たしても、苦難を乗り切れる保証はありません。

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聖書の言うポイントは、苦難を克服したり、征服しようとして敵対しようとしないことです。

試練が与えられるのは、神が許可されたからです。

苦難が来るのを

「おかしい…」

と思わずに、神様から与えられたものとして受け取ることがポイントです。

なぜなら聖書はこう語るからです。

「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」
(第1コリント10:13)

試練の最中は、

「ここから逃れる術など無い!」

と思うほどの苦しみを味わいますが、私たちの過去を振り返ってみると、いずれの苦難も何らかの形で脱出してきたからこそ今があります。

私たちを愛する方が、人格的に接する意味で、この苦難を与えて下さっているのです。

それが

「耐えられないような試錬に会わせることはない」

ということであり、

「耐えられるように、のがれる道も備えて下さる」

ということなのです。

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今日一日を、神と共に静かに過ごす一日として参りましょう。

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