今日のみ言葉【No.352】(2012年 7月14日)
しかし、彼らの中の大多数は、神のみこころにかなわなかったので、荒野で滅ぼされてしまった。
(第1コリント10:5)
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今日の聖句はちょっと恐ろしい感じがします。
自分も滅ぼされてしまうのか…、と不安を感じた人は、どうぞ10章全体をお読み下さい。
聖書に限らず、一部分だけで判断するのでなく、全体からその部分の意味を解釈することが必要です。
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イスラエルの民がエジプトを脱出できたのは、神の恵みによります。
今日の聖句の前の1〜4節までに
「みな」
という語が5回使われているくらい、その恵みは全ての人に与えられました。
では、神の恵みで奴隷から解放された彼らは、その後どんな態度で生活を続けたでしょうか?
感謝と喜び、神に従う正しい生活…、だったでしょうか?
実際は、偶像礼拝、不品行、神を試みる、つぶやく、等のことでした。
パウロは、彼らが滅ぼされたのは、
「これらの事が彼らに起ったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。」
(11節)
と語っています。
私たちが旧約聖書に学び、他人事ではない、と悟るためなのです。
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パウロは更に、
「だから、立っていると思う者は、倒れないように気をつけるがよい。」
(12節)
と続けます。
私たちは弱いのです。
今立っていても、試練が来れば倒れてしまったり、自分の思い通りに行かないことが重なると、
「神様なんかどこにいる!」
と、ふと口からつぶやきが漏れる、そのような者なのです。
しかし、キリストを信じ、その都度罪の赦しを信じて悔い改める者には希望があります。
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」
(13節)
「試練をのがれる道」
ではなく、
「試練のただ中で耐えられるように与えられた道」
があるのです。
これは試練を避けて通ってきた人には見出せない道です。
試練を通っていく時、神様が備えていて下さる逃れの道があると信じられるからこそ、人生には希望があるのです。
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Sさんの息子さんは頭部に腫瘍があることが分かり、手術を受けました。
腫瘍は取れたのですが、手術中に医療事故があり、右半身が不自由になってしまいました。
それから長い長い裁判の年月が続きました。
最終的には勝訴しましたが、10年以上にわたる裁判にかかった費用もあり、障害者となった息子さんが一生暮らせるお金など残りませんでした。
彼は働かなければならなくなったのです。
しかし、ちょうどその頃、ようやく一般的に知られるようになった障害者雇用枠で、その県の機関に採用されることとなりました。
あれから20年、私は昨年、彼が運転する自動車に乗せてもらいました。
リハビリの成果と、障害者専用に作られた運転席で器用にハンドルを回す彼は、パーキングのチケットを左手で取り、きちんと枠内に車を駐車させるほどになっていました。
Sさんの息子さんは、一般の道路だけでなく、神様の備えられた逃れの道を運転するドライバーとなっていたのです。
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試練の中を歩み、のがれる道に出会って参りましょう。
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